ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

感想49『怪奇小説という題名の怪奇小説』・『少し変わった子あります』

79. 都筑道夫怪奇小説という題名の怪奇小説』(集英社文庫

再読したい度:☆☆☆☆★

 図書館シリーズ。面白い構造であった。作家の男が、怪奇小説の執筆を強いられた。米国作家の名の知られていない小説を模倣して筆を執りつつ、材料探しに幼少期や過去の自分の作品を思い出したり、散策したりしていると、死んだはずの、思い出深い従姉に酷似した人物を目撃する。その「従姉」を探しまわる道中が、題材としている小説や、自作や、懐かしき思い出たちと錯綜して絡まり合い、事態は「混沌」としていき──。序盤は油断していると、「今は、小説の内容? 回想? 彼自身の作品の中身? 現在?」と混乱するが、慣れてくると「怪奇」の中に迷い込んで抜け出せなくなるのが魅力だ。

 巻末の解説は道尾秀介氏。『龍神の雨』、『カササギたちの四季』、『スケルトン・キー』など読んだことがあって、好きな作家のひとりであるが、なんと「道尾」は本作の著者・都筑道夫の名に由来する。本作を読み、「作家になってこういう作品を書きたい」と思ったのが「道尾秀介」の始まりなのだとか。道尾氏は、本書を中国神話の「渾沌」に例えていた。本編だけでなく、解説もとても楽しめた。

 

80. 森博嗣『少し変わった子あります』(文春文庫)

再読したい度:☆☆☆☆★

 こちらも図書館の一冊。『すべてがFになる』だったか、学生時代に一冊だけ読んで以来、久ぶりに著者作に触れた。それにしては、変わり種を攻めたであろう。余談だが、実はそういうのが結構好きだ。有名な作家の、代表的でない作品を読むのが。

 川端康成眠れる美女』を彷彿とさせる、というのが最初の印象だ。看板はおろか決まった店舗すらもたない不思議な料亭。そこは一人でしか訪れることができず、俗世と切り離された静かな空間で、黙々と美味しい料理を食べられる──のに加えて、美しき女性と同席するという注文がある。会うのは一度、個人情報の詮索は禁止。向かい合って、食事をするだけ。あるときはぎこちなく一言二言交わし、またあるときは女性の美しい食事の所作に見惚れて終わり。大学教員の男は、そんな奇妙な空間の虜になってゆく。

 展開が面白い上に、男の思考や、女性との会話が知的で、興味深い。例えば、会話の具体性と抽象性について。話がいつも具体的すぎるという周囲からの指摘に悩む女性に、男は「抽象性とは優しさだ。具体性が伴うことで生じる他者との対立を避けるための気遣いだ」と答える。しかし、思考の末、優しさとは、我が身の可愛さに根ざすものであることに、男は気づく。

 孤独について。孤独とは、対外関係の中でしか成り立たない。人との関わりとの対極にあるがゆえに、それなしでは孤独たり得ないからだ。つまり、孤独は自分の力で育てることができない。

 前進について。自分が何者かを認識した瞬間に、前進は止まる。前進し続けたい、変化し続けたい人は、何者にもなってはならない。「研究者」とか「教師」とか、呼び名が決められた瞬間、その枠組みから抜け出せなくなるということだろう。伊集院さんと糸井さんとの対談でも似たような考え方をしていたことを思い出し、はっとした。