84. 宮木あや子『太陽の庭』(集英社文庫)
再読したい度:☆☆☆☆☆
タイトルに惹かれて図書館で借りた一冊。愛読する恩田陸氏の世界観(『光の帝国』シリーズだろうか)とも似たような、ファンタジーでありつつリアリティのある作風で、とても面白かった。整然とした文章で読みやすく、それでいて濃密。観察的な視点でありながら、事象の生々しさも感じられるバランスも絶妙だった。
日本地図に永代院は載っていない。永代院は東京都にあるのだが、地図に載っていないために正式な住所がない。
まず、冒頭のこの文章でぐっと引き込まれた。舞台は「永代院」。一般人には知られぬ上層階級の中心・永代院では、そのトップに立ち、「神」とも呼ばれる由継(世襲制である)と、その妻たち、妾たち、その子供たちが暮らしている。次の「由継」の座、あるいはその母親の座が静かに争われ、そしてほとんどの者が敗者となる永代院の栄華と動乱、衰退を描いた作品だ。
本作は5章構成で、表題『太陽の庭』は第4章にあたる。章ごとに語りの視点が切り替わり、それぞれがリンクすることで一つの物語となっている。由継に最も愛された妾の息子、次の由継に選ばれた青年、永代院の存在を追いかけてしまった一般人(記者)、……。
外界に永大院を知る者は少ないが、妻や妾は外界の権力者や財閥との交流の中で選ばれ、また永代院の「中」で権力を得られなかった者たちは「外」に出されるのであって、外界との繋がりを完全に断つことは不可能である。「中」が精緻が描かれたうえで、「外」からみた永代院というものが掘り下げられていく過程に心躍った。
最後に、気に入った文章の一つを引用して結びとする。
顕示欲と闘争心が、世の中を作っている。(中略)自分を世界の中心に据えたとき、周りは一斉に棒状のグラフとなる。高いもの、低いもの。その不均衡に苛立ち、中心をより高く、安定したものにしようとする感情が顕示欲であり、安定したものにしようとする具体的な原動力が闘争心だ。永代院の中は凝縮された世界だ(後略)
85. 柳美里『フルハウス』(文春文庫)
再読したい度:☆☆☆☆★
再読シリーズ。学生時代に読んで残っていた記憶は「なんとなく奇妙」だったのだが、それどころではなかった。どうしてこうも「狂った人」、「狂った状況」を上手く描けるのだろう。鬼気迫る「狂気」と「恐怖」は圧巻であった。
表題作および『もやし』の2編を収録。『フルハウス』では、バラバラになった家族の絆を取り戻すため父親が家を建てるものの、妹も、出て行った母親も、家に寄りつこうとしない。渋々様子を見に行く主人公の女は、父と「ホームレス一家」との奇妙な共同生活に巻き込まれていく。『もやし』の主人公は既婚の男と不倫関係にある。その関係は相手の妻の知るところとなり、妻は狂い、恐ろしい嫌がらせと、気遣いと、要求を繰り返してくる。狂ったようにもやしを育てる妻の手料理は、もやしカレーというイカレ具合だ。
最初に述べたように、どちらの作品にも共通しているのは「狂気」と「恐怖」だ。生きた人間が一番恐ろしいと思い知るに十分の衝撃だ。では、なにが狂っていて、何が怖いのだろうか。そこを掘り下げようとすると、難しい。「全て」としか表現できない。登場人物一人一人が狂っていて怖いし、彼らによって作り上げられていく状況も狂っていて怖い。そして、強いて特徴を述べるなら、『フルハウス』はホームレス一家が堂々と新居に住み着くという状況が「静かに狂って」おり、反対に『もやし』では夫の不倫を知った妻が精神に異常をきたすのを皮切りに全体が「激しく狂って」いく印象だ。