ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

神奈川県立歴史博物館に行ってきた

 先日、平日午後の休みを利用して、神奈川県立歴史博物館に行ってきた。最近鑑賞していなかった仏像を目当てに、「横浜 博物館」と検索をして辿り着いた。結局、博物館に仏像"以外"の素敵な楽しみ方があることを知り、たっぷり3時間半、満喫してきた。以下では、印象に残った展示や体験を、自分も見返しやすいよう、箇条書きに記す。

・朱印状(1回目)

 館内の構造もわからぬまま、まず初めに入ったのが1階の特別展示室。北条家に関わる文書がずらり。辞令や戦にかかわる命令、海上交通や漁業に関わるお達しなど。この段階では、「ふーん」程度。

 

・古代の展示

 2~3階が常設展示。3階からみていくのが順路だった模様。古代の土器や石器の数々。住居の復元。かなり真面目に、じっくりと解説を読んだ。そうして抱いた感想は「本当か?」であった(褒めています。意図は後述)。この大きな穴は本当に住居跡なのか? 大穴の中に空いた小さな穴には、本当に柱がぶっ刺さっていたのか? ここが寝床だったのか? これは、魔除けの装飾だったのか? 赤色は生命の色。それは納得できる。だから、赤い顔料が塗られた石器は特別で、儀式にのみ用いられていた──って本当か? なんか赤がトレンドで格好良かっただけではないか? 今となっては確認する術がない。

「私の棺桶にその服はいれないで! 気に入ってたんじゃないの! 頑丈で長く着られただけだから!」という友人たちとの馬鹿話(自分が死んだときの妄想)を思い出した。死んでしまったら確認する術はないので、好きな服は事前に伝えておくべし。

 

勢至菩薩坐像

 少し足を崩した座り方、はだけた胸元、手のやわらかさ、少し長い爪、首の傾き、女性的な顔立ち、如来を思わせる包容力。美しくて見惚れてしまった。こちらは複製で、実物は鎌倉の浄光明寺にあるのだとか。一度見に行きたい。

 

・下文(くだしぶみ)

 さすが歴史の中心舞台にある博物館というか、中世の展示も楽しめた。その中にあって、文書というのは絵画や仏像、武器などと違って色合いが単調だし、奥行きがないし、そもそも字が読めないし、あまり面白味を感じられないでいた。しかし、今回「楽しみ方」を一つ教えてもらった。

 解説をみて、地図に戻って、と熱心に展示室を行き来していたからだろうか。「下文」の展示の前で、博物館ボランティアのおじさんが「少し説明してもよろしいでしょうか」と声をかけてきた。どのフロアにも、ボランティアの方々が常駐しているのは目に入っていたが、歴史素人である手前、自分からは話しかけられずにいた。声をかけられた刹那も身構えてしまったが、良い機会と割り切って「ぜひお願いします」と答えた。

 左に飾られていたのが『将軍家政所下文』、右が『源頼朝袖判下文』。「下文(くだしぶみ)」は上位者から下位者へ下される命令文で、どちらも「地頭を命ずる」という内容であった。面白いのは、内容だけでなく、命令の対象者、書かれた年月日(たしか1192年9月12日)まで一緒であること。そこには、こんな物語がある。はじめ、将軍家の役人たちが連名で辞令の公文書を出した(展示左)。だが、命じられた側は受け取りを拒否。「こんなものより頼朝様からの直接の文書が欲しい」と駄々をこね、頼朝の袖判(そではん)[花押(かおう)とも。サインみたいなものらしい]入りの文書をもらったのだそうだ(展示右)。

「今に置き換えると、役所からの公式な書類を拒否して、一人の偉いさんのサインを欲しがるようなもんだけど。当時は『御恩と奉公』。頼朝の命令というのが絶大な意味をもっていたんですよ」

 おじさんの説明が素直に面白く、こういう楽しみ方があるのかと感心した。「将軍家からの下文がポイッと捨てられずに残っているのが面白いですね」と私は感想を述べた。おじさんは笑いながら「たしかにね。でもほら、役人3人とか4人の花押があるでしょ。一応とっておきたかったんじゃないかな」といった。妄想が含まれるが、人間味があって、微笑ましい。

 

・地名、交通、寺社、そして近現代まで

 2階に降りて、展示は江戸から昭和まで。説明の地図にも耳にしたことのある地名が増える。参勤交代に使われた主要な街道のまわりに寺社が集中していることが地図でわかり、なるほどと思う。

 黒船襲来から明治〜大正〜戦争〜戦後。このあたりは、若干疲れてきたのもあったが、なんだか生々しくて、あまり詳しく頭に入れる気にならなかった。「本当か?」の妄想(ロマンとでもいおうか)の重要性をここで知った。

 

・朱印状(再訪)

「下文」の説明を受けて、あらためて1階の特別展へ。朱印状は戦国時代から江戸くらいまでの公文書で、どれも朱印がおされていた。ほう、鎌倉時代の「袖判(花押)」はもうないのか。ハンコがあれば認められ、あの人のサインが欲しい、みたいなことは起こらず、当時から「お役所的な」文書のやりとりだったのかな、などと妄想して楽しむ。

 

・喫茶ともしび

 昼飯を食いそびれていたので、喫茶へ。社会福祉法人県央福祉会が運営しているレトロな雰囲気の店。ビーフシチューとコーヒーをいただいた。どちらも美味であった。落ち着きがあって、30分ほど読書した。

 
ミュージアムライブラリー

 蔵書コーナー自体は学校のひと教室くらいとこじんまりしていたが、なかなか味のあるラインナップで、1時間ほど滞在して本を読み漁った。気に入ったのは『秘仏』という本。開帳が12年に一度とか、33年に一度とか、あるいは1200年だれもみたことがなかったとか、「秘仏」が写真と解説つきで鑑賞できる。文化庁の人の逸話が印象深い。「うちの寺に秘仏があるのだが、ときどき開帳して一般に見てもらった方が良いような貴重なものか、調べて欲しい」と連絡を受け、締め切られていた堂に入ると、真っ黒な塊が現れてぎょっとしたという。昔の火事かなにかで焼けたままの仏像が「秘仏」としてしまわれていたのだそうだ。

 
・建物(後日談)

 全体的に、この博物館がとても気に入った。後日、この記事を書くにあたり、博物館のホームページをあらためてみたところ、なんと建物自体が重要文化財だった。1904年に「横浜正金銀行」として建てられた建造物を、博物館として利用しているのだそうだ。そういえば、近現代の展示で銀行関係の解説が多かった。ライブラリーには、銀行関係の蔵書もあった。昔風の味わい深い内装だった。そういうことか。全てを知った上で、また行きたいと思った。