137. 森下典子『日日是好日─「お茶」が教えてくれた15のしあわせ─』(新潮文庫)
再読したい度:☆☆☆☆☆
前回(主観的な独白はいかが)触れたエッセイ。言いたいことが沢山あるのだが、まずは前回の疑問「主観的な形式の中に客観的な面白さが見出せるのか」について。答えは「はい、見出せました」である。というか、読み始めてすぐ「見出せそう」なことはわかっていたのだが、自作自演の一人ディベートを盛り上げるため、前回はやむを得ず些か批判的な書き振りとなってしまった。全世界のエッセイファンの皆様にお詫び申し上げたい。
エッセイはやはり「その人」がみえてくる傾向が強い。その分、臨場感があって読みやすく、感情移入しやすい。そのリアリティが自分にうまく合致すれば、という但し書きが私には必要であるが、主観的な形式であるエッセイには、客観的な考え方の道標、教訓のようなものをスッと読み手に投影するポテンシャルがあると感じた。
では、作品自体について。実はこの主題には思い入れがあった。私の大学時代の活動の大半を占め、現在の仕事のベースにもなっている研究室では、修了生に指導教員からお言葉をいただく慣習となっていた。私の配属とともに理事となり、直接指導を受けることのなかったA教授(私の指導教員の指導者)は、例えば「泰然自若」とか「百術千慮」とか「悠揚不迫」とか、学生一人ひとりに合った言葉を贈っていた(その数、ざっと50。それだけの言葉を知っていることが凄まじい)。一方、隣の研究室のB教授は、A教授のように違った言葉を選ぶことはできないが──、と一つの言葉を代々の修了生に贈っていた。それが『日日是好日』であった。
私の指導教員・C教授は、「A教授の真似はとてもできない。だからB教授のように一つの言葉を皆に贈りたい」といった。「B教授の贈る『日日是好日』というタイトルの話があってね。その中に登場するある言葉を皆さんに贈りたいと思います」と。今思えばC教授のいう「『日日是好日』というタイトルの話」がまさにこの一冊、あるいはこれを元にした映画なのであるが、十年ほど前には「では読んでみよう・観てみよう」という思いには至らずであった。
ひょんなことから茶道を習い始めた著者は、強い思い入れがあるわけではなく、折に触れて「もう習うのをやめたい」と思いつつ、一向に上達しない自分が嫌になりながら、気づけばお茶を二十年も続けていた。そして、それが実は心の支えになっていたことに気づいた。心の支え。言うは易しである。「お茶」が心の支えとなるまでの地道で美しい過程を味わいたい方は、ぜひこの一冊を手に取ってほしい。いや、もしかしたら、読書を苦にしない日本人全員が、この一冊を手に取るべきかもしれない。そして全員が、著者にとっての「お茶」のような何か心の支えに気づくことができれば良いと思う。
特に後半にかけて、著者がお茶に気づかされた大切なことは、挙げていったらきりがない。よってここでは、世の中の全ての物事に通ずる有難い言葉を、一箇所だけ引用したい。二十年以上もお茶のお稽古に出ていて、先生は頑なにお点前の「手順」についてしか教えてくれないこと、そしてルールだらけのその手順の「なぜ?」には「そういうものなの」としか答えてくれないことに、著者が著者なりの答えを見出す場面。
お茶は、季節のサイクルに沿った日本人の暮らしの美学と哲学を、自分の体に経験させながら知ることだった。
本当に知るには、時間がかかる。けれど、「あっ、そうか!」とわかった瞬間、それは、私の血や肉になった。
もし、初めから先生が全部説明してくれたら、私は長いプロセスの末に、ある日、自分の答えを手にすることはなかった。先生は「余白」を残してくれていたのだ……。
「もし私だったら、心の気づきの楽しさを、生徒にすべて教える」……それは、自分が満足するために、相手の発見の歓びを奪うことだった。
先生は手順だけ教えて、何も教えない。教えないことで、教えようとしていたのだ。
それは、私たちを自由に解き放つことでもあった。
「作法」だけが存在する。「作法」それ自体は厳格であり、自由などないに等しい。ところが「作法」の他は、なんの決まりも制約もないのだ。
(中略)
あれほど、「人を型にはめるがんじがらめの世界」だと思っていたのに、実は全てが自由だったのだ。
個性を重んじる学校教育の中に、人を競争に追い立てる制約と不自由があり、厳格な約束事に縛られた窮屈な茶道の中に、個人のあるがままを受け入れる大きな自由がある……。
さて、指導教員のC教授が我々に贈ってくれたのは『今爰(いまここ)』という言葉であった。「過去の後悔や未来の心配にとらわれず、今この瞬間を生きなさい」という言葉である。本の中では、ぴったり適合するエピソードはあるが、この言葉(この漢字での記載、そして特別な取り上げられ方)は登場しない。映画の好きな教授であるから、映像と音で心に刻んだこの言葉を、私に贈ってくれたのかもしれないと思った。今ここを大切にする。この一冊を通して、その意識が一層強くなった。
