ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

我らがイチローはずっとイチローだった

 友人に誘ってもらって、今年も高校野球女子選抜とイチロー選抜 KOBE CHIBENとの試合を観戦に行くことができた。これが3度目の観戦になった。イチローは毎年良くなる。それからチームメイトの活躍も、女子選抜の輝きも。

 私はイチローが好きだ。野球選手としてはもちろん、彼の人間性もこの上なく好きだ。戦隊モノならレッドはおろか初期の5人の誰でもなくて途中から仲間になる6人目のホワイトとかパープルとかであろう格別で孤高な感じが、ヒーローアニメならパワー特化でもスピード特化でもバランス重視でもない規格外でトリッキーなキャラであろう感じが。対話やインタビューでの誠実で知的な受け答え、確固たる信念と努力の方向・深度を間違わないストイックさ、決して品行方正ではない求道者タイプで、「自己肯定感」なんて今どきの考えは糞食らえ、なんていうところも。

 あるとき、私がイチロー好きであることを会社の先輩に話したら、「イチローが好きって言うのは俺には無理かも」と言われた。彼は高校か大学までがっつりと野球に打ち込ん人であった。全員が認める最も有名な伝説の日本人選手をあえて「好き」と公言することに、恐れ多さというか気恥ずかしさを覚えるのかもしれない。

 試合観戦をしながら友人にこの話をしたところ、彼は「お笑い好きが『ダウンタウンが好き』と言いづらいのと似ているのでは」と喩えた。なるほど的を射ている。なまじその道を知りはじめたひとは、その頂点にいる人への言及を嫌う。そこはもうレジェンドでしょう、もっとニッチな芸人を挙げてこそでしょ、といった具合に。

 それは、テレビで活躍しているような、本当にその道を極めて頂まで辿り着いた芸人たちが、「ダウンタウンに憧れてこの道に入った」と語るのとは違う。一度その道に入ったら最後、極めてはじめて出して良い名前が、「ダウンタウン」であり「イチロー」であるということらしい。だが、そんなことは、中学まで少年野球を嗜んだ程度の私には関係ない。だから声を大にして言おう。私はイチローが好きだ。

 イチロー選抜との試合で輝いた女子選手がいた。イチローから4打数3安打の大活躍をした福田選手だ。ヒットを打ったあとのベース上での彼女の溌剌としたガッツポーズと笑顔は忘れられない。試合が終わったヒーローインタビューでは、当然彼女の活躍が讃えられた。イチローが彼女の打撃を振り返り、「参りました。本当にいい選手。スターが生まれたなという感じがした。打席に立ったときに空気が変わる選手がいるが、まさにそうだった」と絶賛した。

 この言葉を受けて、福田選手が、令和の女子高生である彼女が、涙を流していた。「すごい選手であるイチローさんから褒めてもらえることは世界で一番嬉しい」と。我々世代にとっては当然レジェンドだが、令和においても、その道を極める只中にある彼女らにとっては、彼は特別な存在なのだ。我らがイチローはずっとイチローだった。その事実を球場で目の当たりにして、胸が熱くなった。福田さんの涙をみて、私も少し泣いた。