ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

文芸ミュージカル「三毛子」へ参戦

 

 どうも、廃人あらため俳人の者です。

 一昨年にお〜いお茶新俳句大賞で佳作特別賞をいただいて以来、どうも賞をもらう機会から遠ざかっているなと不思議に思っていたが、それもそのはず、そもそもお〜いお茶新俳句大賞以外に応募していなかった。

 今年はいろいろな俳句コンテンストに応募しまくることを目標にも掲げ(2023年の目標)、今日まで既に3つのコンテストに応募した。

 そして、うち1つは早々に結果が出た。やってしまいましたよ。入賞ですよ、入賞! 友人に言わせれば才能の爆発。もう感性爆発よ(感染じゃないよ)。爆発がとどまるところを知らない。

 副賞としていただいたのが、能舞台版ひとり文芸ミュージカル「三毛子」のペアチケットだった。「能舞台」も「ミュージカル」も「三毛子」もその元となっている「吾輩は猫である」も全てが初めましてだったので、鑑賞するか否かかなり迷ったのだが、賞をいただいたのも何かのご縁と、行くことを決意した。誘った家族や友人の都合が悪く、ひとりで参戦の可能性もあったが、多忙の友人が強引に休みをとってくれて、無事二人で鑑賞できた。

 結論、行ってよかった。こういった文化もあるのかと。こういう経験もよいものだと。

 まず、会場のあった銀座。お銀座ですよ。ショーケースの中で八千万円越えの年代物ウイスキーが台上で回っている世界。はじめはカンマでの区切り方が私の知らぬ間に変わったかと錯覚した。せいぜい八十万くらいだろうとたかを括って眺めていたのだが、びっくりして近づいて桁を数えて、もっとびっくりして急いで離れた。割りでもしたら借金人生よ。今の家を2回程売らんと。もうヤケ酒もできんわ。

 あと、会場までの感覚的な遠さ。受付にたどり着くまでの時間の長さたるや。いかんいかん、待つことも大人の嗜みなのだよ、フフ。この調子だと開演に間に合わんだろ。受付を隣にもう一つ作れば長蛇の列も解消では? などとは誰も言わない。

 能楽堂という空間。素人とそうでない人が見た目ですぐわかる。和服か、そうでなければビシッとジャケットでないと馴染めない。そもそも若者があまりいない。舞台は、木の美しさを感じるつくり。新しい木にみえるが、昔から舞台に使われていた木材をそのまま持ってきたという前情報があったので、余計にありがたみを感じずにはいられない。

 そして、開演! の前の前説のようなもの。内容的にはこれが一番勉強になったし、興味深かった。「夏目漱石正岡子規高浜虚子と俳誌ホトトギス」、「与謝野晶子平塚らいてうと母性保護論争」。私は特に後者の米田佐代子氏の解説がお気に入りだった。女性が自立して、働いてかつ子を育てられるようでなければならぬか、国が子どもを守る制度を確立すべきか。晶子とらいてうの対立の根幹には、子どもは最良の環境の中で育てられなければならないという、子どもの人権を主張する共通の思想があって……。良かったですね。改めて本を探して読もうかと思う。

 ついに開演! 能舞台というから、お面をかぶって、独特の抑揚で古語を話し続けるのだと思っていたが、想定よりずっと現代ミュージカル(? これもみたことはないが)寄りでとっつきやすかった。正直、米田氏の解説がなかったら、なんのこっちゃ内容はわからなかっただろう。説教めいたことをいう場面も、前説で時代背景がわかっていたからこそ楽しめるものだった。

 終わったあとは俗世こと新橋で飲み。普段行かない銀座に降り立ち、ありがたい解説を聞き、初めての能舞台を堪能し、友人との酒を満喫する。これらはそもそも俳句がなければ生まれなかった時間で、そう考えると、俳句マジ感謝。俳句は爆発だ! 私のはまだ軽めの、ボヤ騒ぎぐらいの。