ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

感想39『雑談力』

 

63. 百田尚樹『雑談力』(PHP文庫)

再読したい度:☆☆★★★

「コロナ以降、学生の雑談力が低下している」という話を大学時代の恩師から聞いて、雑談については自分でも考えたいと思っていた。そんな折、図書館で本書を見つけ、手に取った。

 まず、雑談とは何か。私も含め誤解している人が多そうだが、雑談は、話し手が一番興味のある話であって、聞き手の興味をうかがい話すのではない。すなわち、雑談の本質は、話し手がどんな嗜好、思想なのかをオープンにする行為だ。

 だが、話し手の好きなように語るのでは、聞き手はしっかりと聞いてくれない。話し手の興味は、聞き手にとって興味のないことであることが殆どだからだ。では、どんな工夫が必要か。ここでは3つにまとめて記したい。

 まずは、ストーリー性。ただ時系列通りに出来事を語るのでは面白くない。映画でも小説でも漫画でも、話の順序、とりわけ「つかみ」は重要視されている。話の始まりで聞き手を驚かせたり、疑問をもたせたり出来ればまずは良い。あとは話の「急所(オチ)」は隠しておくこと。最初にタネを明かしてしまうのはNGだ。この辺りは映画や本の紹介で練習するといいらしい。順番通りに語っていては時間がかかるし、「急所」を先に話してしまっては面白くない。

 次に、具体性。「〇〇という動物が最強だ」とか「〇〇の大きさといったら他は敵わない」などと語るとき、このような主観的な情報だけではイメージが湧かない。具体的な数値やわかりやすい比較対象を挙げる必要がある。あと、雑談のテーマになっていることを、聞き手は何も知らない前提で話すことだ。基本から話して「それは知ってる」といわれたら簡単に流せばよいし、聞き手の方も情報を持っていればそれを言い合うだけで盛り上がる。

 最後は、人間らしさ。意外な事実やウンチクだけ並べたのでは、話し手が満足するだけで聞き手は面白くない。温かみや生々しさがないと共感に結びつかない。自身の経験したことが一番熱をもっていて、例えば、失敗談はみんな笑える(ただし引くほどの失敗はダメ。程度あり)。だが、そういったネタになる経験には当然ながら限界があるので、見聞きした情報も雑談のストックに入れざるを得ない。では、そういった情報をただのウンチクとして語る行為から、どう脱却したら良いか。そのためには、情報を咀嚼して、自分のものにする必要がある。これは、自分が経験したかのように話す(パクる)というのではなく、自分の言葉や考え、切り口で話せるようにしておくということだ。いずれにしても、自慢したいというのではなく、楽しませたいという気持ちが大切なようだ。

 話すのが上手な人は、聞き手にまわっても即座に話の「急所」がわかって、聞き方や相槌で組み立てを手助けして、話を面白くできるのだそうだ。同時に、この話を自分のものにしようという学ぶ姿勢を持っている。だから質問やコメントも必然的に多くなる。逆にいうと、話し上手になる近道は、インプットを増やし、ネタのストックを増やすと同時に、話の組み立てや「急所」を考えながら積極的に聴くことだ。

 私のイメージする雑談上手というと、本記事の冒頭で学生の雑談力低下を嘆いていた恩師なのだが、彼の話し方は、驚くほど本書のいう技術と合致している。とりあげた3つのポイントはもちろん、聞き上手だし、話の引き出しも膨大だ。本書の中で「同じ話をすることに躊躇はいらない。本当に面白い話は何度聞いても笑える」という記述があったが、彼の話はまさにこれだ。臨場感と、茶目っ気と、知識の出し方と、オチまでのもっていき方が完璧なのだろうと思う。

 研究室や飲みの席で、恩師とほか数人で話をしていると、8割は彼一人で話していた気がする。聞いているだけで面白いから良いのだが、あるとき別の大学の教員から「お前ら(学生)も話に入れるところは入らないと居る意味がないぞ」と言われた。自分の思考や論理を主張するという仕事の性質上だろうが、確かに恩師もその教員も、入る隙があれば話題を奪い去るきらいがある。以来、私も黙ってばかりではダメだと、まずは友人との会話から、雑談を入れ込むタイミングを積極的に探すようになった。そしてつい先日、恩師と飲む機会があった。彼と我々(私や他の教員など)とで、6:4くらいまではもっていけたのではと思う(話が面白かったかは別として。でも、彼はいつでも我々の話を真剣に聞いてくれる)。彼の言った「雑談力」の低下というのは、コロナ感染拡大によって強制的に人との関わりが絶たれたことによる、興味や考えを伝えたい、交換したいという意欲と積極性の欠如なのだと思う。