ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

感想28『蛇を踏む』・『晩夏のプレイボール』

 

46. 川上弘美『蛇を踏む』(文春文庫)

再読したい度:☆★★★★

 図書館で借りた本。第115回芥川賞受賞作。表題作を含む3作を収録しており、どれも好みがはっきり分かれそうな物語だった。

 表題作は、踏んだ蛇が人間の姿となり、家に住み着いてしまう不思議な世界観が魅力だ。全体に繊細さと荒々しさが共存している。意図的と思われる句読点の少なさは、少し読みづらいところもあるものの、独白などの場面では畳み掛けとして上手に機能していると思う。

 表題作はまだついていけるが、『消える』は読んでいるうちに訳がわからなくなってしまった。訳のわからん空想の話(「うそばなし」と作者は読んでいた)に読者を強引にいざなうという文章の書き方もあるのだなと、ある意味勉強になった。

 一転、『惜夜記』は数ページでひとまとまりになった沢山の章が連なり、一部は密接に、一部は遠くリンクしながら、一つの物語を形成していて、この構成自体は好みだった。頭がおかしくなりそうなのは『消える』と一緒だが、『消える』の世界観がはっきりと確立しないまま進む不安感に比べ、細切れになって散らばったピースが少しずつはまっていく期待感を多少頼りとして読み進められた。そうはいっても、不安で物語に入り込めない、物語に身を委ねられない、というのが全体を通しての感想だ。「うそばなし」のエッジが効きすぎていた。

 

47. あさのあつこ『晩夏のプレイボール』(角川文庫)

再読したい度:☆☆☆★★

 野球をテーマとした十の短編集。滞るところのない洗練された読みやすさがありつつも、感服する表現や比喩が随所に見られて、飽きがこない話ばかりだ。美しく整った国語の読解問題のようで、私だったらこの情景の意味や主人公の心情を問うかな、と考えてしまうほどだった。以下、印象に残った話を3つ紹介したい。

 まずは『空が見える』。十歳で亡くなった息子は、野球が大好きだった。死期の迫る夫と、それを支える妻の二人は、息子の残像に囚われたままだった。野球よりはるか根本にある生命やその儚さ、神秘性というのがテーマにあって、「甲子園に出られなかった」や「レギュラーを掴みたかった」のような、ほかの物語とは前提条件が違いすぎて、重量に圧倒されてしまった。

 2つ目は『雨上がり』。勉強も運動もただひたすらに平凡な少年が、最近見つけた唯一の楽しみ。それは、河原で高校球児が一人黙々と素振りをする姿を見ていること。野球との奇妙な出会いが、「平凡」な少年を少しだけ変える。心温まり、自分も少し前向きなっても良いかなと思える作品だった。

 最後は『ランニング』。高校から野球を始めた主人公の補欠キャッチャーと、幼馴染のマネージャー。そんな彼らの高校に来た、1つ下の超高校級ピッチャー。そのエースにお願いされて、練習で球を受けることになった主人公と、それを見ていたマネージャー。凄まじい球を捕手として受ける、主人公にとって夢のようなその時間は、意外な形で3人の関係性を変えてゆく。思わずにやけてしまうような、真っ直ぐな青春の物語だった。