ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

船乗りは、若い

 

 昨年末に、航海中の時間と記憶の異質性について触れた(2021年の振り返り)。海と陸とでは、空間はもとより時間にも大きなギャップがあるような感じがする。そして、その結果として、その間には記憶の乖離のようなものが生じる。船上の生活は、陸上の”日常”には決して入ってこない。例えば2週間の航海なら、その2週間は海に置いてくる感覚で、暦には”無かった”ものとなる。今回は、このような乗船の特殊性について、少し掘り下げてみたいと思う。

 時間の話の足がかりとして、まずは「速さ」の話から始めよう。私がよく乗る調査船の速度はおよそ10ノット、時速にして約18 km/hだ。陸上の車両や電車の速度を60 km/h程度と考えれば、まずは移動速度がだいぶゆっくりであることがわかる。

 この速度の違いに起因して、時間感覚も船上の方がだいぶゆっくりだ。調査では、緯度や経度をみて等間隔に観測点を設けることが多い。ここでは簡単に、ある経度に沿って南北に走ることを考えよう。緯度にして15分(=4分の1度)おきに点を打つと、測点の間隔は約28 km、その距離でも船だと移動に1時間半かかる。東京-横浜間がちょうど28 kmくらいらしいが、各駅停車の電車でも30分程で移動できる距離だ。

 このような間隔で設けた調査を、あとは淡々とこなしていく。だから、感覚も狂ってくる。例えば、10 kmおきなど、ときどき高密度に観測しようなどというときは、「え、早いよ。もう30分後には次の点着いちゃうじゃん」なんて会話もある。陸で30分の移動というと、暇つぶしの本や仮眠のことを考えるくらい、なかなかの時間だ。だが、船では一瞬に感じてしまう。

 洋上では時間の流れがゆっくりだから、心に多少なりともゆとりがある。時間に追われた殺伐とした日常は、人を疲弊させ、老けさせる。裏を返せば、ゆとりは人を若くする、と言えるかもしれない。うむ、確かに、乗船する乗組員や調査員は年齢より若く見える人が多い。

 アインシュタイン特殊相対性理論は、物質の運動が光速に近づくほど時間の進みが遅いことを説明している。この考えによれば、速く動く乗り物に乗れば乗るほど、相対的に周りの人より年をとらない。よって、「ゆっくりと動く船に乗る人は若い」というのは物理的には誤りのように思える(いや、短時間電車や新幹線なんかの速い乗り物に乗るより、低速でもまとまった時間動き続けていたほうが効果があるのか? この計算は、またの機会に)。

 船乗りの若さは、物理現象というよりも、心身からくるものだろうと思う。先ほどから述べている「心のゆとり」も大きな要因だろうが、船内の環境も大きく関わっていそうだ。これまで「ゆとり」と繰り返し言ってきたが、何も航海はただのんびりしていて楽なもんだと言っているのではない。観測はじめ甲板での作業は肉体労働だ。しかも、危険が伴うものなので、作業中はずっと気が張っている。体力のいる作業、命の危険をも感じる緊張と、ゆとりという緩和。このバランスも、若さの一因になるのかもしれない。

 あとは、家族でもない老若男女が数週間同じ空間で寝食を共にするという奇妙な土台がある。仕事中はもちろん労働時間外に至るまで、自分より若い世代の考え方や文化に触れる機会に溢れている。以前、定年も近い乗組員のボスが、「おう、やろうぜ」と十代の部下を誘って、居室で『桃鉄』や『マリカー』をするのを見たことがある。これは、若さ以外の何ものでもない。他にも、大自然の中の生活、バランスのとれた食事、それから(夜勤もありうるが)一定の生活リズム、なども要素となるだろうか。

 海と陸の時間感覚のギャップから、船に乗る人の若さまで話が発展した。洋上という環境がもたらす異質性は、気をつけて探してみればまだまだありそうだ。折角、普通では経験できないことを職業としているので、今後も気づいたことがあれば、ここで記事にしたいと思う。