ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

感想50『眠れる美女』

 

81. 川端康成眠れる美女』(新潮文庫

再読したい度:☆☆☆☆☆

 再読シリーズ。表題作および『片腕』、『散りぬるを』の3編が収録されている。前回紹介『少し変わった子あります』が表題作に類似していた気がして、読み返してみた。毎度異なる女性と「添い寝をする」あるいは「食事をする」という設定は類似しているが、味わい、作品の良さを感じる箇所は全く違っていた。

「変態的」という褒め言葉はあまり好きではないのだが、言わんとしていることは理解できる。「変態的バッティング」とか「変態的ギタリスト」とか、スポーツ選手やアーティストなど何か一つのことを極めて、もはや人知を超えた者に対して与えられる称号であって、むしろ、言い得て妙であるかもしれない。『眠れる美女』と『片腕』については、この「変態的」という賛辞がよく当てはまるように思う。著者は、常人の発想の及ばぬ点に着目して掘り下げることに成功した変態であり、ものを言わぬ眠れる美女あるいは美女の片腕を観察し尽くした変態であり、それらを上質な文によって生々しく描写することに専念した変態である。

 もはや対比するものでもないのだが、『少し変わった子あります』が知性的、理性的であるとするならば──食事というものは食欲という根本的な欲求に「調理」や「マナー」という知性、理性を取り入れたと考えれば、あながち間違いでもないか──、『眠れる美女』は本能的、感情的なものが根底にあるように思われる。生殖機能がほぼ絶たれた老人たちが求めるものは、未だ穢れを知らない若き美女たちとの、何事もない添い寝である。本能の終焉と、甦る官能という行き止まりと、生物に平等に与えられた死という虚無。それらが美しく、絶妙なバランスで書き連ねられていてなお、重苦しく感じるのは、知性や理性では処理し切れない、人間の本質が描かれているからだと思う。

「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」からはじまる、美しい腕を女性から一晩借り受けた男を描いた『片腕』も、人間の本能、性的嗜好と理性の恐ろしい部分を描写した悪夢といえる。『眠れる美女』とともに収録された理由がわかる気がする。そうすると、悪ふざけで侵入した家の中で、眠ったままの知人女性二人を殺害した男を描く『散りぬるを』が同時に収録された理由を考えたくなる。「事件の記録は犯人と検察その他とが作り上げた小説だ」というような記述、それからその記録をもとに小説を書き上げた作家自身を「小説家という無期懲役人」と表現するところを踏まえると、生と死、性(せい)と性(さが)を主題とした意味で、『散りぬるを』を含めて、ひとつの短編集となっているのかもしれない。