ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

色づいた釧路

 

 先日、北海道東部のまち、釧路に出張した。気温は20度前後。日中は半袖で涼しいくらい、夜になるとカーディガンを羽織っていないと少々肌寒いときた。天国かと思った。

 実は、釧路の地に降り立ったのは、これが初めてではない。10年前、まだ私が学生だった頃、調査船で寄港したことがあるのだ。私自身、人生初めての航海で、初めての寄港地、そもそも初めての北海道だった。

 右も左もわからぬ初航海を終え、約1ヶ月ぶりに辿り着いた陸地。釧路という地を楽しもうという思いより、陸の生活を楽しもうという気持ちの方が強かったことを覚えている。この考え方は、この航海以降、大変お世話になったある先輩の言葉によるところが大きい。彼は、寄港地では「陸を楽しめ」としきりに言っていた。「揺れないことを楽しめ」、「ジャンクフードを楽しめ」と。彼はとても船に弱く、船内生活からの解放を心から楽しむ人なのだ。

 当時、降り立ったのは4月の下旬。釧路には、冷たい雨と雪が降り続いていた。ずっと寒くて、ずっと曇天。さびれた港町は、常に灰色だった。さらに、私は先輩と「ザンギ」や「スパカツ」など釧路のジャンクフードを喰らい尽くすのに精一杯で(沢山奢ってもらい、感謝している)、「釧路というまち」のカラーを楽しむ余裕がなかった。

 だから、今回釧路に降り立ったときには、正直驚きが隠せなかった。「秋高し」と形容するにふさわしい澄んだ青空、照らされた街。寂しい港ではなく、駅周辺に降り立ったことも大きいかもしれない。10年ぶりの釧路には、確かに色があった。清潔感の漂うビジネスホテル、美しく舗装された川沿いの散歩道、港近くの繁華街と商業施設。

 そこは、確かに記憶にあるまちだったが、その記憶は無色だったことに気付かされた。”思い出はモノクローム”という名曲「君は天然色」に寄せたつもりはないが、その通りになってしまった。

 懐かしさと新鮮さを感じながら味わった日本酒と料理、何かと頭を悩ませた打ち合わせ、懐かしい教員と学生もいた懇親会、かつてザンギをたらふく食ったフードコートで食べる格安海鮮丼。今回の出張は、今のところはっきりとしたカラーの記憶だが、日本酒については色褪せてしまわないうちに図鑑としてまとめようと思う。そんな駄文を、次の出張先に向かう道中に、連ねている。