ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

風は軟風

 

 子どもの体重が10 kgを超えて久しい。抱っこをする自分自身への負担が、文字通り痛いほど感じられ、体力がないのはいけないと、最近は以前にも増して筋トレやランニングを意識してするようになった。

 筋トレはNintendo Switch『リングフィットアドベンチャー』でする。キャラクターのレベルは現在105。レベルって、軽々と100を超えてくるんだなと。その割に筋肉が付いた感じはあまりしないが、しないよりは良いはずなので、緩く継続している。

 ランニングは専ら自宅か会社の近所で済ませる。音楽は最近聴かない。音で周囲の危険を察知できるようにという考えもあるが、ランニング中に思考が音楽に支配されるのが嫌という側面もある。本ブログのような駄文の構成や俳句、仕事のことなんかを考えながら走ると、案外頭が冴えて、捗るので良い。

 あと最近は、ランニングフォームを気にしている。脚を前に出すという意識ではなくて、重心の移動で前に進むよう、軽い前傾姿勢が良いらしい。走るとスネが痛かったのだが、これは前に出過ぎた脚がブレーキとなり、そのダメージをスネが一身に背負っていたためらしく、体重移動を意識し始めてからは痛みが軽減されてきた。あと、私は体力がないので、1 km/5分半より速いとバテる。1 km/6分くらいゆっくりが良さそうで、これより遅いとそれはそれで逆に疲れる。

 自宅付近の歩道は狭いところも多い。歩行者の邪魔にならないよう、狭い歩道はコースに入れないよう心がけてはいるものの、広い歩道へと向かう道中、どうしても通らねばならないこともある。

 つい先日、狭い歩道をゆく若い女性の二人組と遭遇した。走る私と進行方向は同じ。どうしても私が追い抜かねばならぬ状況だ。幸い、女性の一人が私の足音に気づいたようで、もう一人の女性の腰を抱く格好で、ガードレールにぐっと寄り、道を開けてくれた。感謝と申し訳なさを込めた会釈で傍を通過しようとしたとき、寄り添われた女性の方がバランスを崩した。「痛い! いったいよ!」と二度叫んだ。よろめき方を見るに、足を挫いたかもしれなかった。すいません、大丈夫ですか、と咄嗟に声がかけられれば良かったが、私は会釈の準備をした頭のまま、伏し目がちに、足早に追い抜くことしかできなかった。

 私のために道を開けてくれたのだから、一言謝ればよかったかもしれない。たった一言。だが、それが出来なかった。私に起因した出来事ではあるが、女性が脚を痛めたこと自体は、私の責任ではなかったような気がしたからだ。女性の悲鳴がキツイものだったこともある。怒りの矛先が私に向いてしまうのが怖かった。冷酷だったろうか。卑怯だったろうか。この日のランニングは、そんな後悔を渦巻かせながらの5 km弱だった。空は快晴、風は軟風。私のような人間には、生きづらい世の中だ。

 

尾田栄一郎ONE PIECE』ナレーション「空は快晴 風は軟風 風車がよくまわる」の一部を引用した。