再読したい度:☆☆☆☆★
漁船から転落し無人島に漂着した男の生活と思想の変化を緻密に描いた作品。正直、10年くらい前の私だったら、序盤で読むのを諦めていたかもしれない。だが、だからこそ、本というものに慣れてきた今、出会えてよかったし、時間をおくと見える世界がまた変わりそうで、是非再読したい作品だ。
読み始めてからしばらくの間、登場人物が一人なので会話もなく、記述も説明的で序盤はなかなか世界観に入り込めなかった。ここが読むのを諦めたくなる最大の要因である。しかし、途中から、この独白が、じれったくて細かすぎる説明が、果てしなく思える漂流や無人島生活のリアリティなのだと気づいた。転落に気づかず離れてゆく船、容赦なく押し寄せる波、恵みのスコール、近づく島、登れない岩礁、割れない椰子の実、これら全てを制御する、あまりに強大で魅惑的な自然──。この作品にはスピード感を求めてはいけない。じっくりと一字一句を追いながら、一緒に苦しみ、感動し、彼の生き様を味わうべき作品だ。
彼の置かれた境遇を共に味合うという意味で、作中では何気ない一コマなのだが、私の脳裏に強烈に焼きついた描写がある。ブレットフルートというその名の通り味わいがパンに似ているらしいくだものを手に入れ、これまでに食べた一番美味かったパンの味を回想するシーンだ。一部を抜粋して引用する:
”フランス風のパンの強烈な芳香やあの皮のかたさ、手に力をこめてちぎった時の抵抗感、弾力のある多孔質の、自然物のような断面、噛むに従ってばりばりと割れて口腔のあちこちを刺激する感じ、歯ごたえ、口にひろがる味、喉頭をぐっと押しかえすようにして食道に入ってゆく量感などが、パンという一語から紡ぎだされた。”
美味いパンを食べるという行為を、これほどまでに精緻に、文章で説明できるだろうか。私はこれを読んで、文を書くということ、説明するということに対する自信をなくしてしまった。
詳細は伏せるが、ちょうど半分くらい読み進めたところで、初めての会話が出てくる。これでぐっと読みやすくなるのと、彼の島での生活の顛末が気になりだして、また対話によって彼の島での生活とはなんだったのかが咀嚼されていくので、ページをめくる速度が速まると思う。そして、最後まで読み終えたら、是非とも第1章、最初の数ページに立ち戻ってみて欲しい。最初のとっつきにくさが嘘のように、表題のとおり成層圏にあるような、熱く、爽やかな、親しみと愛着が湧くはずである。