ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

感想41『木洩れ日に泳ぐ魚』・『空気の発見』

 

65. 恩田陸『木洩れ日に泳ぐ魚』(文春文庫)

再読したい度:☆☆☆★★

 引越しの荷出しを終えて、がらんとした賃貸アパートの一室で、テーブルがわりのキャリーケースを挟んで向かい合う男女。酒を舐めながも、二人には思うところがあるようで、どうやら喜ばしい門出ではないようだ。普通なら、カップルの別れ話が、何かが起こる前触れか──と考えるが、恩田氏の手にかかれば、そんな安易な想像を遥かに超える、展開、展開、また展開の連続である。

 主役の二人は、一服に行くか、酒を買い足しに行く以外、この何もないアパートから一切動かない。それでも、視点を替えながら、思考や回想がふんだんに盛り込まれ、メリハリがあってだらけない。加えて、よく知った仲の男女が離れ離れにならなければいけない理由、この物語最大の謎をとりまく空気の緊張と緩和に心奪われる。

 読んだことのある人の中には、表題と物語が結びつきづらいと感じた人も多いかもしれない。私も読み終えて表題の意味を考えてしまった。だが、だからこそ、未読の方には表題を念頭に置きながら本作を味わって欲しいと思う。例えば真実や愛といった、人が求めてやまない何かを「太陽」とするならば、我々は木々の枝葉の間から差し込む光を頼りに光源を探す魚のようであり、同時に、黙って木立ちの陰にいたならば、真相あるいは自らの心を偽り隠しながら、安全で平穏な暮らしができる生き物なのだ。そして、仮に光をみつけたとて、水という器から逃れられない魚たちは、また別の木陰を見つけて身を潜めざるを得ないのかもしれない。

 

66. 三宅泰雄『空気の発見』(角川文庫)

再読したい度:☆★★★★

 理科の好きな中学生あたりに薦めたい一冊。私としては序盤の歴史的な話が面白く、後半は高校化学で学んだ内容の復習という印象だった。1962年出版とあって、今ではアップデートされた知識もあったように思う。以下に内容を要約しておく。

 まず、「空気」という言葉の意味について。「空」は何もないこと、「気」は魂を表している。生きるためには息をせねばならず、息をするには眼前に漂う「モノ」ともわからない「何か」が必要だ。それがこの言葉の起源である。

「空気」の化学的特徴が明らかになるまでには、かなりの時間を要した。16世紀、ガリレオガリレイが空気に重さ(水の773分の1)があることを発見したのを皮切りに、トリチェリーの気圧の発見などが続いた。

 そして、化合物や元素の発見。まず、18世紀に二酸化炭素が発見される(空気中でも含有率は小さいのに)。そして、窒素、酸素と発見されていくが、これらは「物が燃える」ことの謎と密接に関係している。当時、物が燃えるには「フロギストン(燃素)」という物質が必要と信じられていた。酸素中で物がよく燃えるのは、酸素にはフロギストンが「全くない」からだと考えられた(我々の知る常識と真逆なのが面白い)。酸素はフロギストンが枯渇しているがために、燃えている物質からフロギストンを奪い去り、その際に激しく燃えるのだと考えられていた。そんな中、化学の父ラヴォアジェが「燃えること=酸化反応」を見出したことで、フロギストンの存在は否定された。

 その後は高校化学で学んだような内容が中心だ。ラヴォアジェの質量不変の法則、プルーストの定比例の法則、ドールトンの原子の発見、ゲーリュサックの気体の膨張係数一定、アヴォガドロの分子説、……。そして、さまざまな気体や放射線、状態変化や温室効果などか次々と発見されていった。