ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

感想31『君の膵臓をたべたい』

 

50. 住野よる『君の膵臓をたべたい』(双葉文庫

再読したい度:☆☆☆☆★

 本ブログを読んでくださった方から「私が再読したいと思うのはこの本だけ」と紹介いただいた一冊。ほか、何人かの友人知人からも勧められたことのある本だ。悔しいが、面白かった。悔しいというのは自身の斜に構えた性格からである。話題になったり大ヒットした作品には手を出せない質である上に、もし触れることがあっても手放しで「よい」とは言いたくない思いがある。それを踏まえても、良い作品だった。

 膵臓を患い余命わずかな”社交的で明るい”少女と、ひょんなことからその事実を知った”人に興味のない根暗な”少年の物語。少年視点で語りは進む。余命を知りつつも気丈に振る舞う少女の言動は浮世離れしていて、初めは多少の違和感がある。一方で、性格が正反対な少年との会話の「噛み合わなさ」は、むしろ瑞々しく、いかにも現実的だ。軽快で、茶目っ気があり、若者の「普段の会話」を文章にそのまま起こしたかのようで、特に前半はくどいというか、まどろっこしいというか、読み飽きそうになる手前の、ギリギリのラインを攻めていると思った。

 根底にある「死」というテーマに似つかわしくない明るい雰囲気から、ともすると付き合うまでの微妙な距離感を楽しむカップルのいちゃいちゃと周囲のいざこざを描いただけになりかねないが、そうさせないのは、ところどころで少女の「余命」という揺るぎない事実が少年に突きつけられるからだ。少年の戦慄は読者にも同様の冷たい温度で伝わり、心臓が掴まれる思いがする。それが全体を引き締めている。いつの間にか、二人のその先が気になっていた。そして、二人の関係がいつまでも終わってくれるなと願っていた。

 面白い表現は、少年の名前がずっと登場しないことだ。彼の名は、物語の語り部たる彼が、自分の名前を相手がどんなふうに思って読んでいるかの想像に変換されて記される。例えば、【地味なクラスメイト】君とか、【私の秘密を知っているクラスメイト】君とかだ。この"名前"の変遷も、追ってみると彼と周りとの関係、ひいては彼自身の考え方の変化が見てとれて興味深い。

 あとは後半に特に目立つ改行の多様。一文一文が強調されるし、感情の昂りとともに言葉が溢れ出てとまらない様子が効果的に表現されていると思う。それに、今風な感じもする。最近はSNSなどで短文に触れる機会が多く、また時間をかけずとも理解のできるシンプルで端的なフレーズが好まれる背景からだろう。

 最後に、少年には妙な親近感が湧いている。揚げ足を取れるだけ取ってまわり、偏屈で常に正論を愛するあたり、他人とは思えない。その性格から友達が少ない(多くは必要ないと思っている)ところも似ているし、なんなら私の数少ない友人の一人と少年とが重なるところが非常に多い。そんな少年が、不要だと信じて疑わなかったもの、すなわち「他人との繋がり」が、実は自分自身を形成する一要因であること。繋がりは、多い少ないではなくて、どんな色の、カタチの、どれくらいの固さの、太さののものなのかが重要なのだ。そして、結局は、自分自身が「在る」こと。その均衡の大切さを、とてつもない破壊力と感動で、この物語は教えてくれる。