ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

ソリの記憶、タライの笑い

 

 昔、おそらく幼稚園にも通う前の話だ。冬、雪国が故郷の私は、友達と駐車場で雪遊びをしていた。

 当時はアパート暮らしで、私は一階、その友達は二階に住んでいた。アパートは、駐車場から階段を五、六段ほど上がって一階の居室が並ぶ廊下にたどり着くような作りになっていたが、その年は雪が多くて、駐車場と一階はほとんど同じ高さになっていた。

 友達とは同じアパートということもあり、家族ぐるみの付き合いだった。そのとき、我々の遊ぶ様子を見守っていたのは友達のお父さんだけで、私の両親は部屋にいたのだと思う。

 雪だるまを作って、雪玉を投げ合って、次はソリで遊ぼうということになった。今のようにいろいろな商品がある時代ではなく、男の子は青、女の子はピンク、とソリにもそれくらいしか種類はなかった。私も友人も一度自宅に戻って、お互い同じ青色の、プラスチック製のソリをとってくることにした。

 友達の方が戻りが早くて、すでに駐車場にできた雪山から滑り降りて遊んでいた。私も早く遊びたい衝動に駆られ、一階から駐車場に飛び降りようと思った。先に述べた通り、積雪のために段差はほとんどなくなっており、そこをジャンプして遊ぶこともしていたので、飛び降りることは難しいことではなかった。

 これまでと違ったのは、手にソリをもっていたことだ。自分の身体ほどの大きさのソリをもって飛び降りるのは難しい。だから、ソリだけ先に着地させればよいと思った。つまるところ、一階から駐車場へ、ソリをぶん投げたのだ。

 その判断がまずかった。不運にも、ソリは雪山を滑り降りてきた友達の頭に当たった。まずい、と思った。でも、何故だろう。ああいうとき「ごめんなさい」という言葉が咄嗟に出ないのは。

 友達は泣き、友達のお父さんは「痛がってるよ、謝りなさい!」と大声で怒った。他人の子供である私を真剣に怒ってくれたのは、今思えばありがたいことだった。だが、当時の私は、やっぱり「ごめんなさい」が言えなくて、ただ泣いた。

 その後のことは覚えていない。二人とも泣き止んで、私は「ごめんなさい」といって、何事もなかったかのように遊んだかもしれないし、いつまでも私は謝らず、その日はもう解散、となったかもしれない。だが、それ以来友達とは疎遠に──、ということはない。小学生くらいまではときどき遊んでいたから。

 現在に話は飛ぶ。巧妙に構成された漫才やコントもさることながら、お決まりや単純な笑いも好物の私だが、この苦い経験からか、私は頭上からの落下物をみて笑えない。頭にタライをガッシャーンみたいなのはどうも心が痛んでだめだ。

 人はどうしてあれで笑うのだろう。それはきっと、「高みの見物」だからだと思う。自分の安全は確保されていて、痛い思いをする人の表情や反応をみて、笑う。

 あと、痛い思いをする人の安全性も重要な要素だと思う。本当に事故になったら笑えない。その意味で、私はソリで事故を起こして、タライの笑いが「高みの見物」よりも自分の近いところに寄ってしまったのだと思う。

 逆に、というと変だが、当時の友達はどれだけ痛かったのか、確認と禊の意味を込めて、一度タライを受けてみたい気はする。高さはそれほどいらない。そうだな、一階から駐車場までの高さから、雪の厚みを差し引いた分くらい。階段にして一、二段分の高さでお願いしたい。

 

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