ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

『いつも何度でも』の包容力

 

 ご存知『千と千尋の神隠し』の挿入歌である。作詞は覚和歌子氏、作曲と歌は木村弓氏だ。映画の公開(2001年)当時、私は小学生であった。中学生時代には、学級ごとの出し物か何かでこの歌を合唱した記憶がある。

 先日、現在の木村弓氏が歌うこの曲を聴いて涙が出た。年月が経ち、彼女自身、声が出づらくなったところがあったかもしれない。だが、それがまた良い。歩んできた時間が、この歌の説得力を増している。そう、この歌には説得力がある。どこか人生2、3周目の感がある。今回は、この歌が内包する、えもいわれぬ説得力の正体を分析してみたいと思う。なお、ここでは歌詞の意味自体にはあまり触れない。この記事で述べるようなぼんやりとした雰囲気。それを始点に、一文一文を自分なりに解釈していって欲しい。

 説得力を生む要素の一つには、まず、土台のシンプルさがある。伴奏はハープのような楽器一つ。調べるとライアーという楽器らしいが、このささやかで繊細な音が、歌の邪魔をせず、木村氏の声を絶妙に支え、聴き手を歌詞の世界にうまく引き込んでいる。

 肝心の歌詞に触れていこう。歌詞を文の単位で区切っていくとわかるのは、一文が短く簡潔であることだ。文章の意味するところを考え出すと即座には理解できないが、使われる単語は簡単で、ぱっと脳内で処理できる。木村氏の歌い方の歯切れの良さも、この明快さを助けている。

 さらに特徴的なのは文末だ。この歌では言い切り、断定が多用されている。例として、まずは歌い出しをみてみよう。

 呼んでいる 胸のどこか奥で

「呼んでいる」のである。どこで? 「胸のどこか奥で」である。美しき倒置法。呼んでいるかもしれない。呼ばれているように思える。そんな推測や迷いは一切ない。

 繰り返すあやまちの そのたび ひとは

 ただ青い空の 青さを知る

これも、絶対に「知る」のである。達観している。異論は認めない強さがある。成語や格言の域である。そして、それを厚かましくなく、そっと諭すように歌いあげる木村氏の声が、絶妙なバランスを実現している。

 断定が12文、意志が3文、希望が2文(自身調べ)。

 ゼロになるからだ 充たされてゆけ

希望を表すこの一文は、命令法による強い言い切りだ。

 いつも何度でも 夢を描こう

 かなしみの数を 言い尽くすより

 同じくちびるで そっとうたおう

そして、意志の畳み掛け。勧誘を込めた、周りを巻き込む意志に、「そうだ、そうしたほうがいい」と説得されてしまう。

 いや、「そうしたほうがいい」という適当や勧誘の意味を超えている。「そうすれば大丈夫」という安心感がある。説得力からくる包容力。当然、歌というのは一方的である。歌い手から聞き手に、言葉を投げかけるだけのものだ。だが、信頼を帯びた歌はときに、こちらの気持ちを汲み取り、静かに悩みを聴いて、広い心で受け止めてくれるように感じられる。

 

最近の歌っている映像は見つけられなかったが、過去のもの↓

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いつも何度でも

いつも何度でも

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