ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

誰もが誰かのExample

 

 少し前の話になるが、肩と首が重くてどうしようもなくなり、整骨院に通っていた。治療してもらったのははじめてだったが、先生いわく、「なかなか見ないひどいコリ」だったらしい。

 昨年夏の初診から、週一回のペースで治療してもらっていた。十五分程度のもみほぐしと、電気治療。それだけでも、やってもらった後はだいぶ楽になっていた。

 治療してくれた先生は、物腰が柔らかく丁寧な人で、年齢が近い(私の何歳か下らしい)こともあり、気軽に世間話ができる関係だった。残念なことに、数ヶ月前に仕事の都合でしばらく通院できなくなったきり、行くタイミングを失い現在に至っている。

 通院期間には、世間的にもそれなりのことが起こった。コロナの動向、オリンピック開催どうの、新内閣発足、誰かの不祥事、誰かの死。友人とのあいだや会社内で取り立てて話さない内容でも、先生とは適度な距離感で会話ができた。少し異質で特殊な空間だったといっていい。

「患者さんとは、政治と宗教の話はしないというのが暗黙の了解なんですがね──」

 そんな枕詞で先生が語ったのは、日本学術会議がどうのと過激な持論を展開したおじいさんの話だった。「職業柄、いろいろな方とお話ができるんですよ」と先生はいった。私の通っていた、決まった曜日の決まった時間にも、老若男女の患者を目にしていたから、それは想像に難くなかった。そして、学術云々の話を振ってくれたのは、先生が私を「ときどき海に出る、なにか学術っぽいことをしている人間」と認識していたためらしかった。その認識は間違っていないが、私の知識と考えの浅さから、残念ながら先生を満足させるような話題展開はできなかったと思う。

「先日、自宅のPCを買い換えたんですがね、SEの仕事をしている患者さんにいろいろとアドバイスをいただいて、ちょっと詳しくなったんですよ」

「ある患者さんの娘さんが介護施設で働いているらしくて、そこで発生してしまったらしいんですよ。ええ、いわゆるクラスターが」

「『ニンテンドースイッチ』を注文したんです。患者さんから『リングフィット』がいい運動になるって聞いて。あ、お持ちなんですね。どうです、結構効きますか?」

 訪れるたび、いろいろな患者に関わる、いろいろな方面の話を聞かせてくれた。もちろん、話は治療と症状にも及んだ。

「身体が硬いのはやはり良くないんです。ヨガマットとポールでも準備して、ゴリゴリ全身の筋肉を伸ばすようにするといいですよ。でも稀に、柔らかすぎてダメ、という方もいるみたいですが」

 新体操をする女の子が、股関節を痛めて通院していたときのこと。健康的な生活に身体、一見、改善しない要素はない。だが、一向に治る気配がなかった。どうやら、筋肉にある程度の緊張(硬さ)があれば、その張力で伸びて痛めた筋が元どおりになるらしいのだが、柔らかすぎる彼女の筋肉にはその緊張がなく、筋がそのままになってしまっているのだという。

 このように、あらゆる患者をみていればこそ、私の症状を「なかなか見ないひどいコリ」と相対評価できて、「マットとポールを買ってゴリゴリしろ」と対処法を提案できるわけだ。言われた通り、今では買ってゴリゴリやっている。

『患者さんで、肩と首のコリがひどい方がいましてね。パソコン作業に加えて、定期的に数週間、船に乗るらしいんです。十分に身体を動かせない環境で、全身が凝り固まってしまうみたいで。でも、そんなときはですね──』

 匿名だからこそ気軽に聞けたり、説得力が増したりする話もある。先生との対話でそれに気付かされた。だから、私の経験や治療も、施術中の話の種として、あるいは誰かの症状を改善させるための具体例として、こんなふうに使われているのかもしれない。運動不足になりがちな船上で、先生に言われたとおりストレッチをしながら、ふとそんなことを思った。