ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

転がる石には苔が生えぬ

 

 春は出会いと別れの季節であるらしい。「らしい」と他人事なのは、卒業入学など行事の結果として生じる事象を、季節そのものと直接結びつけることが、私の中では少々短絡的で洒落臭い気がするからである。

 しかし、そんな屁理屈をこねても、この時期に出会いと別れが多いのは本当であって、事実、私自身もその只中にある。あと10日ほどで、3年暮らした賃貸マンションに別れを告げる。今回は、この我が家での生活を少し振り返ってみようと思う。

 考えてみると、これまで転居のたびに文章を書いている。今の家に越して来たときもそうだし(さらば愛しきまち)、学生時代の転居のときにも手書きで思いを綴った。暮らしていたアパートにむけて手紙を書いたのだ。随分と浪漫的なことをしたものだ。その手紙が最近見あたらないのだが、恥ずかしいのでむしろ一生出てこなくてよい。一方で、高校を卒業して地元を離れるときは何も書かなかった。故郷を去ったつもりはないからだろうか。

 閑話休題、生活を振り返ってみよう。この3年間は、個人的にも世間的にもいろいろな出来事があって、長かったのか短かったのかよくわからない。そして、そんな3年間の拠点となった我が家。最寄り駅から徒歩15分以上、買い物や外食にも便利ではなく、治安もさして良くない商店街の一角にある、このマンションの狭い一室は、これまたつかみどころのない空間だった。

 となりの本格カレー屋からは、いつも香辛料の香りがしていた。洗濯物ににおいがつかないか心配し、そして、むせ返るほどの強烈なにおいにしばしば狂乱した。外に出れば、性器の名称を叫んでいないと気が済まない変態老人がまちを闊歩していたり、ワゴン車から裸足で飛び出し逃げていく女性がいたりした。入り口のオートロックドアはガラスが叩き割られて機能せず、近くを救急車が通れば「いやー、今年は本当に多いなー」とニヤつく男が出没した。でも、一階に弁当屋が入っていたのは便利だった。これだけで、異常も不便も、おおかたチャラになる。

 訝しい点を先に述べておいてなんだが、もちろん楽しい思い出もある。妻となった人との暮らし、そして、1時間以上かけて訪問してくれる友人の存在。これを抜きにしては、この3年はもちろん、私の人生を語ることはできない。家から10分ほど歩いたところに公園があって、妻とも友人とも、しばしばそこに行ってキャッチボールやバドミントンをした。シートを広げたり簡易テントを立てたりして、弁当を広げ、ぼんやりしていた時間がまた良かった。

 自宅周辺での活動はそれくらいで、あとはもっぱら家でゲームをするか動画をみるかだった。妻と友人と、酒を飲み、ピザを食いながらバイオハザードスマッシュブラザーズをする。これがもっとも多かった気がする。友人はバイオをやるためにPS4をわざわざ買って持ち込んでくれた。あと、友人は、なぜか大きなテレビをくれた。Fire TV stick もくれた。我々の遊ぶ環境をとても良くしてくれた。こうして良い思いをさせ、我々を丸々太らせて、最後にはとって食うつもりだろうか? まあ、それも本望だ。

 偶然だが、この友人もまた、同時期に転居する。彼は8年暮らしたまちを出る。私にも、彼の家での思い出があるわけだが、振り返れば、場所を変えただけでやっていることはほとんど変わらなかった気がする。酒を飲み、ゲームをして、動画をみて、ラジオを聴き、文章や人生について語った。ふざけて、彼の部屋を勝手にクソ洒落た西海岸風に模様替えしたこともあった。(模様替えした箇所を除いて)ダーク調で統一され、間接照明にもこだわった、雰囲気の良い彼の部屋。あの空間にもう行けないと思うと、正直寂しい。我が家を出るよりも寂しい気がするのは、単純に関わった年月が長いというだけの理由だろうか。

「転がる石には苔が生えぬ」という言葉がある。もとはイギリスのことわざ(A rolling stone gathers no moss)で、「住まいや職を転々とする人は成功できない」という意味らしい。一方、アメリカでは「よく動き回る人は能力が錆びつかない」という反対の意味で使われる。イギリスの保守的な考えと、アメリカの改革的な考えを反映しての違いらしいが、私は日本のやおよろずの精神に則って、臨機応変に受け入れたいと思う。これから引越す家にはそれなりに長期間住むことになりそうだから、これまではアメリカ的に、そしてこれからはイギリス的に、この言葉を解釈したい(保守的になるということではない)。

 この3月は私と妻と友人と、3人にとっての「春」となった。最後は、引越し時には私の中で恒例となった、浪漫的で洒落臭い言葉で、この記事を結びたい。さて、今度の家は、まちはは、人々は、3つの小さな石ころに、どんな苔を生やして覆うだろう。