23. 川島誠『800』(角川文庫)
再読したい度:☆☆☆☆☆
再読シリーズ。大学一年の夏休みに二、三十冊を読み漁ったうちの一冊。
陸上競技の八〇〇メートルがつなぐ、部活にも性にもまっすぐな二人の高校生の青春ストーリー、という記憶だったけれど、そんなありきたりな言葉で語れるような作品ではなかった。軽い気持ちだったけど、手にとって再読してよかった。
魅力はなんといっても二人の主人公。
一人は、中学時代から陸上をやっていた広瀬。理にかなったトレーニングをして、合理的な食事や休息をとって、理性でレースに臨む。
恋愛もそう。
「人を好きになること(ひいては人と人が関わること)には『理由』や『原因』なんてない」
という考えがあって、全ては偶然だし、同時に偶然の全ては必然であるともいっている。
前に読んだときは、八〇〇への愛とまじめさ、知的さ、そして少しの自信のなさが好きだったことを覚えている。一人称視点が交互に切り替わる構成の中でも、彼の順番が来るのを楽しみにしていた。
もう一人は、陸上競技素人の中沢。中学の陸上大会に駆り出されて走ったことから八〇〇の魅力を知った。
性格は広瀬と対照的。欲望のまま、競技も私生活も、感性で動く。
競技そのものというより、競技場の芝生の匂いや雰囲気が好きだったりする。
大事な大会当日だって、他校に可愛い女の子をみつければもちろん追いかける。売られた喧嘩は買うし、気になる相手には同性異性問わず馴れ馴れしく話しかける。
私自分がそういった青春を送れなかった妬みからか、当時は彼をどうも好きになれなかった。
性格の好き嫌いは一旦置いておいて、注目すべきは二人の書き分け。本当に、同一の作者がこれを書いているのかと驚くばかりの、精緻で的確な描写。昔はそれに気づくセンサーがなかっただけに、今回は新鮮な読み応えがあった。
ちなみに、書き分けという意味では、ここまでは広瀬の語り口を真似してる。少しはうまくできている。たぶん。
✳︎
でも、それだけじゃないのよ。なにって、新鮮だったのはさ。あとがきにもちらっと書いてあったけど、詩的なのよ、ほんとに。
二七九ページが八二の章にわかれてる。てことは、一章あたり三、四ページくらいでしょ。短いよね。これ、ちなみに暗算ね。意外と賢いのよ、俺。
語り手がコロコロと交互に変わるけど、それが嫌な途切れじゃない。いくつもの「詩」がまとまって、一つの大きな物語になってるみたい。
きれいなものには、みとれちゃうよね。人でも文章でもおなじ。
それと、読み返してみて、二人の評価が変わったね。
まず、広瀬。こいつ、真面目な印象だけが残ってたけど、やることはやってんのよ。
「人間の時間的な連続性を信じていない」
とか難しいこといって、対人関係にクールなふりはしてるけどさ。なぜかモテるわけ。
知的が売りのつもりなのに、女子には
「何も考えないで、ぼんやりして育ったところが好き」
なんて言われちゃうんだけどね。かわいそ。
一方の中沢はといえば、なんだかんだで要領がいい。昔からヤンチャしてるぶん、おぼっちゃんとは経験量が違う。
そこにすごくぐっときた。
中沢みたいに、格好良く生きたいって思った。
自分自身の気持ちの変化なのかね。妬ましさが消えて、うらましくなっちゃったのかも。
いつのまにか、広瀬よりも、中沢の軽妙な語りと痛快な言動を待ってた。
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八〇〇を走る二人がいたら、勝負になるのは必然なんだ。きっと。
広瀬より中沢に気持ちが傾いたからといって、中沢に勝ってほしいかといえば、それはまた別の話。
結局のところ、コツコツと練習をして、ずっと競技と向き合ってきた「王者」候補に勝ってほしい気持ちがある。
地域的に、野球のテレビ中継が限られていたからだろう。私の父は昔からずっと巨人ファン。
「巨人が一位にずっといるから野球は面白い」
とよく言ってた。今となっては古い考えだと思うけど、父の考えはずっと変わらない。
それで、少し悲しいけど、その遺伝子が私にも受け継がれているふしがある。最後は「王者」が勝つべきだって。
予選はもちろん、決勝ですら、広瀬にとっては「調整」のときがある。
一生に一度、勝つべき試合で勝てばよい。
そんな冷めた考えをもっている彼が、本能をむき出しにする瞬間をみる。
応援せずにはいられない。
計算ができなくなった広瀬。これが一番勝ちたい勝負だったんだ。たぶん。
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だからって見捨てられたら、泣いちゃうぜ。
心のどこかで、どんでん返しを期待している自分もいるの。
中沢は最初から闘争心むきだしよ。駆け引きなんてない。めずらしく、広瀬もそれにのってきたのがわかる。
大学時代に読んだときは、絶対広瀬に勝ってほしいって思ったのを覚えてる。でも、改めて読んでみたら、どうよ。
頑張ってほしいわけ。中沢にもさ。
試合直前、ヘラヘラしきれない中沢がいる。ギャップってやつね、これ。肩入れしちゃうよ。
どっちにも勝ってほしいっていうか、どっちにも負けて欲しくない。
ホイッスル。
男子八〇〇メートル、決勝。
勝負のゆくえは、小説のなか。