ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

すぐカッとしてしまうあなたへ ──パブロフ流 冷静術──

 

 このご時世、公共の場でくしゃみをするのは躊躇われる。だから、出そうでどうしようもないとき、私はこっそりそれを止めている。やり方は簡単で、くしゃみが出そうになって口が開いた瞬間、鼻の下のくぼみのあたりをぐっと押すだけだ。押し方によっては往年のギャグのような間抜けな格好になるので注意が必要だ。ぺっ。

 なんでも、くしゃみをさせる神経は鼻の下に伸びていて、触った刺激を先に脳に送ってしまえばくしゃみがとまる、という仕組みらしい。ちなみに、おでこにも神経は枝分かれしているそうで、そっちを押してもいいそうだ。

 メカニズムが既知で、実際にとめられるのは結構なのだが、やはり出るものを出さないのはすっきりしない。それに、自分の身体を外からの刺激で操作しているようで、いささか気持ちが悪いところもある。

 

 先日、「お前はすぐにカッとなって怒りすぎだ」と注意された。その瞬間は怒りがさらに増幅されて噴火しそうだったが、後になってみれば思い当たる節しかなく、正直に言って自分でもなおしたいところだった。

 自らの性格の克服を思い立ち、「すぐカッとなる なおしたい」と検索してみる。どんな内容でもまとめた記事が出てくるもので、早速いくつかに目を通してみた。

 よく見かけたのは「怒りの継続時間は6秒」理論だ。イラッとしても6秒我慢すればあっという間に怒りは減衰するというのだ。残念ながら、これは私には当てはまらない。発火を抑えて頭の中で完結させようと考えれば考えるほど、内にひっこめた炎は私の中でめらめらと燃え上がり、かえって悪化することがほとんどなのだ。

 一方、「怒りを認識する」、そして「怒りにランクをつける」というのはなかなか良かった。頭に血が上ってきたときの合言葉は「ストップ」だ。今、怒ろうとしているぞ。我慢しようとするのではなく、一旦立ち止まって、怒りを認識する。それから、この怒りはどれほどのものなのか、とランクづけに思考を移す。「まあ、レベル3くらいのものだな。雑魚か」とか「それにしても憤慨ものだな。レベル9」とか、考え出すだけでだいぶ違う。

 さすがにレベル9ともなると額に血管が浮き出て、つま先から肩くらいまで怒りに震える。おっと、ほぼ全身に症状が出ている。そうなってしまったときは、「今、怒ってるよ。ストップ」と言ってもらうことにした。二段構えの認識で、「あぶねえ、俺としたことが、怒るところだった」となる算段だ。

 

 こうして自分の中で怒りを完結させられるならよい。そう、良いはずなのだが、「ストップ」と唱えたあとに気持ちが「しゅん」となる瞬間がしばしばある。いずれは怒ってなどいなくとも「ストップ」といわれただけで条件反射的に「しゅん」となってしまうのではないか。まるで、『パブロフの犬』がよだれを垂らすかのように。

 そしていつの日か、「怒り」という感情そのものを忘れてしまうのではないか。あるまとめ記事には「よく怒る人は怒りが原動力のこともある」と書かれていた。無理な抑制で「しゅん」となるくらいならよいが、感情が肉体から離れ、力の源を失った無気力人間が出来上がったら、と想像すると恐ろしくもある。