いつの記事だったか,記憶は一番に「嗅覚」と,その次に「聴覚」と密接に関連しているという話をした。
嗅覚について思い当たることも多いが,最近は音楽に詳しい友人に鼓舞されていろいろと聴くようになって,聴覚と記憶のつながりを感じることが多い。
最近のところから例を挙げてみる。
Diana Krall の「Stop This World」を聴くと,単身ハワイに出張に行ったときの不安感や寂しさが思い出される。
Stop this World - Diana Krall (The Girl In The Other Room) Letra na descrição do vídeo.
これは,往復の飛行機で彼女のアルバム "The Girl In The Other Room" をずっと聴いていたのと,帰り際ショッピングモールでアメリカ兵士の方々のジャズ演奏を聴いてまさかの号泣してしまったことによろう(号泣の詳細は国境は別れの顔 - ライ麦畑で叫ばせてを参照いただけると幸いです)。
同系統の回路でいうと,Chvrches の「The Mother We Share」を聴くと,単身チェコ出張にいった緊張と切なさを思い出す。
CHVRCHES - The Mother We Share
その後フランスはブレストに一人寂しく行く出張が続いて,「海外で寂しくなったらchvrches」みたいな決まりが自分の中で勝手にできていた。
この辺りで思ったのは,曲とつながった私の記憶に楽しいものはあまりなくて,どれも寂しいとか辛いとかの性質のモノが多いということだ。
ノリのいい曲を流して皆でウェイウェイ踊り狂ったり車をぶっ飛ばしたりしていたら,あるいはそんな楽しい記憶があったのかもしれない。
さて,もっとさかのぼってみる。
YUI(特に「Merry-Go-Round」や 「LIFE」 など)を聴けば高校時代~大学初めの儚く散った思いや孤独を思い出すし,GARNET CROW(とりわけ「夏の幻」はCDが擦り切れるまで聴いた)は一人部屋のベッドで寝転がり,挫けそうになりながらも何とか生き長らえた中学暗黒時代を思い出させる。
小学校の卒業記念CDで歌ったスピッツの「空も飛べるはず」は,別れの寂しさ,新たな環境への不安とほんの少しの期待が混じったつかみどころのない当時の感情を今でも甦らせる。
うーん,どれも切ない系の思い出ばかりだな。私のこれまでの人生,良いことはなかったのか?
そう思ってiTunesで適当に音楽を流していたら,ありましたよ,甘酸っぱくほろ苦い青春の思い出が!
高校三年の夏,バドミントン部も既に引退し,受験勉強も一休みで準備と運営に没頭した学園祭。
出店の焼きそばも完売御礼,何故かクラスの代表に選ばれた挙句,全校2位にまでなってしまった女装コンテストも無事終えた夕方。
グランドフィナーレの花火がラグビー場から打ち上がるのを待ちながら,ステージに立つ軽音楽部の演奏を地べたに腰を下ろして聴いていた。隣には,初めてまともに付き合った,当時の彼女(ギャー,こんなことを書いて良いブログだったか?)が座っている。
そのとき軽音楽部が歌っていたのが,NUMBER GIRL の「透明少女」に「IGGY POP FUN CLUB」だった。
Iggy Pop Fan Club - Number Girl
舞台に立つ軽音部の彼らはカッコ良くて,それを聴く俺はカッコ悪くて,でも,どちらもそれはまさに青春だった。
──ん?
ここまで思い出してハッとしたのだが,高校当時,私はNUMBER GIRLを知らなかった。先に話に出た音楽に詳しい友人に紹介され,何年か前に初めて聴いて非常に好きになったのだ。
これは,記憶の捏造だった。焼きそばはホント,女装もホント,彼女は多大に妄想かもしれないが,軽音楽部の舞台は,全く違う。
「人生をやり直せるならいつからやり直したいですか?」という質問をこの前されたが,基本的には,いつにも戻りたくない。きっと,そのときがいつも一番辛いから。
でも,そんなことをいって場の雰囲気を盛り下げるほどの心の強さがないので,「強いて言うなら──」といって絞り出した答えは,「高校時代」であった。戻るなら断然,あの頃だ。
運動部に入るのをやめて,音楽をしてみたいのだ。ナンバガみたいなカッコいいバンドを。
今現在それくらい憧れているアーティストであるし,彼らの荒々しくも繊細な世界観が私の「理想の高校時代」と重なったために,こんな事態になったのだろう。
聞けば狂想曲というのは特定の技法や形式がある訳ではなく,例外的で気まぐれ,自由な手法を取り入れた曲であるらしい。
記憶というものも,じつはそんな気まぐれで変化に富んだものなのかもしれない。
あれも,これも,実は捏造の記憶なのかも,そう考えると少し不安で,恐ろしい。