ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

感想30『元気が出る俳句』

 

49. 倉阪鬼一郎『元気が出る俳句』(幻冬舎新書

再読したい度:☆☆☆☆★

 壮大だったり前向きだったりして元気の出る俳句が紹介されている。食べ物、動物などのテーマ別に十二の章に分けられているので、好みのものをピックアップして鑑賞することも可能だ。各章ごと、現代から過去へと遡るかたちで俳句が並んでいるのでとっかかりやすいように感じた。解説には同俳人の他の名作も挙げられていて、一度に多くの俳句に触れられるのも魅力だ。字余りなど俳句の構造とその効果まで分析されている点、自由律俳句も取り上げられている点は、知見を広げる意味でとてもよかった。以下では、特に印象に残った十数句(今回は解説の句は除いた)を紹介する。

 

1. 銀河濃し水の宅急便届く 浦川聡子

 炭酸水やお茶などは私も宅配で買う。星の綺麗な夜に頼んでいた水が届いただけでも、「銀河濃し」という季語を選択することで、壮大かつ幻想的な「物語」を想像せずにいられない。俳句は強烈で、不思議である。

 

2. 白葱のひかりの棒をいま刻む 黒田杏子

 これも何でもない日常なのだが、白葱を「ひかりの棒」と表現し、それを「いま」刻むという。いまなんて、普通は言う必要がない。でも、ここでは光と時間という事象が出されることで、壮大でSFっぽい、時空間の偉大な一瞬が想像される。

 

3. 一人来た二人来た伊予柑山の童女 加倉井秋を

 童女を形容する言葉は一切ないのだが、「一人来た二人来た」で時間に少しの幅をもたせることで、たわわに実った伊予柑の木の間を駆け来る「元気の塊」たちが、色や音を伴って、連続的に通り過ぎるさまが想像できる。

 

4. ねこしろく秋のまんなかからそれる 渡邊白泉

「秋のまんなか」という表現に圧倒されたのだが、それを邪魔しないのがひらがな表記の「ねこしろく」なのだと解説を読んで感心した。「猫白く」だと確かに重くてこの世界観の邪魔をする。はじめは「ひらがな」のように丸っこい白猫の奔放な姿を想像したが、秋・白というと五行思想の白秋も連想されて、もしかしたら実りの秋から逸れて消えゆく老猫かも、と二次的な想像をしてみたり。漢字多用なら後者っぽいか。

 

5. 音楽を降らしめよ夥しき蝶に 藤田湘子

 色とりどりの花々、無数の白い蝶々、柔らかだが眩しい日の光、そして軽快で爽やかな「音楽」に視覚が占拠される感じ。音楽ならば聴覚では、といわれそうだが、私が想像したのは軽快なリズムで降り舞っては消える「音符」だったのだ。出来上がるのは無数と無数の重ね合わせの景色。共感してくれる人はいるだろうか?

 

6. ふだん着でふだんの心桃の花 細見綾子

 普通が良いという真骨頂のような一句だと思う。行事や旅行に臨むような特別な元気ではないが、取り繕っていないそれが、実は一等だいじである。桃の花が添える淡く小さな桃色がまた良い。

 

7. 時計屋の時計春の夜どれがほんと 久保田万太郎

 時計屋にあるたくさんの時計から、春の夜に映像は切り替わり、「どれがほんと」で再び時計たちに視線は戻る。時計は指す時間がばらばらなのだ。「どれがほんと」は朧げで掴みどころのない春の夜にも掛かってきて幻想的だが、ひらがな表記と字余りのおかげで重すぎず、とぼけた感じと愛らしさが出ている。

 

8. 幸福だこんなに汗が出るなんて 雪我狂流

 これには正直、度肝を抜かれた。「幸福だ」と上五でストレートに言い切ってしまうあたり、普通だったら「幸福であることを、そうと言わずに表現するのが俳句」と聞こえてきそうだが、これに限ってはど真ん中直球が潔い。普通なら、汗をかくのは嫌だろう。少なくともこれは、通勤中に満員電車で流すような不快なものではなくて、それこそハツラツとド直球で勝負するピッチャーが流す汗のような、豪快で爽やかなものだ。ビールやスポーツドリンクなんかのCMで使われてもおかしくない。実際に、汗をかいて「幸福だ」と呟いてみた。意外なところに幸福が見出されたようで、心臓がびっくりしていた。少し泣けた。

 

9. 炎帝に告げよ「あたしは美しい」 竹岡一郎

 炎帝は夏を司る神だが、その燃えるような熱気と、「あたしは美しい」のつんとした冷たさは、対極のもののようで取り合わせが面白い。あえて鉤括弧づけなのも、夏なのに色白で、凛とした美しい女性(勝手な想像だが)を真夏からちょっと切り離して、際立たせている。

 

10. 凧三角、四角、六角、空、硝子 芥川龍之介

 これも驚きの句だった。初めはぶつ切りでなんのこっちゃと思ったが、繰り返し読むと、滲み出る透明感と少しの哀愁は流石と思う。凧が揚がっている。三角や、四角や、六角の凧だ。一瞬、空に視点が移る。俳句では普通は「切れ」で間(ま)を作るが、ここでは「空」という見えるものでそれを生んでいる。そして、硝子。はて、なんだろうと思う。子供が遊ぶおはじきか、ビー玉か、はたまた窓だろうか。だが、透明で美しいことはわかる。解説では「六角」が前にあるから切子グラスが連想されると述べていた。酒でも舐めながら眺めているのかしら。そして、多用される句点は風を受ける凧を横から見た形に見えるとも。これもなるほどと思う。そこまで計算されていたのだとすれば、もうお手上げ。

 

11. 書くことが生きてゐること牡丹の芽 村山古郷

 ブログを書いたり読んだりする皆さんなら、少なからず共感されるのではなかろうか。鉛筆が紙をこする摩擦音が、指がキーボードを叩くタイプ音に変わっても、この営みの偉大さは変わらないと思う。牡丹の芽は、そうか、筆の形に似ている。

 

12. 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり 三橋鷹女

 夏バテで痩せようが、嫌いなものは嫌いだから食わんという、強さ逞しさを感じる句だ。食べ物は好き嫌いなく、いつも食欲旺盛でも(私はそう)、他に妙なこだわりや頑固さがある人は、共感をもって勇気づけられるのではと思う。

 

13. 蜩や悲しみ過ぎて笑つちやふ 成瀬正俊

 悲しみが極限(あるいはピーク)を超えると、頭の回路がおかしくなって笑っちゃうのだ。防衛本能なのだろうか。から元気というか、無理やり前を向いている感もあるが、それが結構重要なときもある。ここでも季語がいい味を出していて、夕暮れの哀愁を帯びたイメージの蜩だが、その鳴き声は、少し無理をして出した、笑い声に聞こえる瞬間がある。