ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

父の背中

 

 数ヶ月前、父が退職した。定年を過ぎてから数年間も、同じ会社で勤め上げての退職だった。

 少し前には「所長(当然父より年下)が部下や取引先との関係を疎かにしている。俺の言うことに耳を傾けようとしない」と、一方向から聞いただけでは状況を把握しかねる文句をいいながらも働いていた。しかし、文句はある種の活力というのは本当で、退職後の言葉は「パソコン作業ができないとどうにもならない時代になった。営業はさておき、事務作業は若手に任せてばかりになり、邪魔にはなっても役には立たないと思った」という寂しいものだった。

 そうはいっても、経済的に余裕のない一家ではすぐに次の職を探さねばならないことは自分が一番わかっているようで、退職して一月ほど休んだ後にはハローワークに通いだした。そして、これまで携わってきた農業関係の、しかも元来得意とする営業の職をみつけてきたようだった。

 法事で帰省した折、父が珍しく真面目な顔をして、一枚のメモ用紙を私に差し出してきた。「お前は文章で説明するのが得意だろう。履歴書の志望理由を添削してほしい」というのだ。そこには父の字で、前述のような農業と営業に関する次第が書かれていた。就職に関して私から父に相談などしたことはなかったが、まさか逆に相談を受ける日がくるとは夢にも思っておらず、なんだかむず痒さを感じながら、少し言い回しや順序をかえて返してやった。父は満足げにそれを受け取って、笑っていた。

 

 ちらと覗いた履歴書には、「得意教科」なる項目もあった。退職後の人をつかまえて得意な教科もないとは思ったが、父は真面目に「地理」と回答していた。父は、地理が好きだったらしい。本人から聞いたことはなかったが、そういえば、思い当たる節はいくつかある。

 例えば、我々の小学時代の自由研究。長男の私には地元の有名な川を、次男には国道を、それぞれ数年にわたって調べさせた。というより、父がやりたかったことを、一緒にやったかたちだろう。私の場合は、川の通過する市町村の情報や川にかかる橋なんかを、父の運転する車で現地に赴き、調べてまとめた。ちなみに、三男も何か提案されたはずだが、「面倒臭い」といって断ったのだと思う。

 あとは、読んでいた本。父は、暇さえあれば漫画を読むか、映画を観るかしているが、本を読んでいることはほとんどない。したがって、これまでの人生で父からもらった本はものの数冊だが、そのうちの一冊は、「世界一面白い」だったか、そんな枕詞がついた地図帳だった。

 かなり前のことだろうが、父は地球儀が欲しいといっていたはずだった。うっすらとしたその記憶を思い出したのは、退職祝いの記念品について兄弟で相談しているときだった。結局、私のその曖昧な記憶を頼りに、地球儀型のウイスキーデカンタをわたした。贈呈と順番は前後したが、履歴書の記述から地理が好きだという事実も明らかとなり、それなりによい記念品だったのではと思う。

 

 さて、父の就職活動はどうだったかというと、現在は無事に採用され、しっかり働いているようだ。昨今の情勢から、農家をまわっての営業は結局できていないようだが、大型免許をはじめ特殊な免許をいろいろと持っていることと、営業まわりと地理好きのおかげで土地や道路の知識が豊富なこととで、なにかと重宝されているらしい。

 採用が決まる前、「面接で、履歴書をみてあなたに興味を持った、っていわれたよ」と父は嬉しそうに語った。今となっては不要な心配だったわけだが、それは社交辞令なのでは、と私は内心不安であった。そんな心配などつゆ知らず、父は「多分大丈夫だ」と楽しげだった。その声を電話越しに聞くと、にこやかな表情でビールを飲む父のすがたが眼前に浮かんだ。 

「俺の背中を見て育ったのは三兄弟の中でもお前だけだ」と父はよく私にいう。たしかに、私は父に似てきたと思う。ベランダ(実家の父は屋上だが)で夜風に当たりながら飲む一杯に幸福を感じ、一方で飲みすぎによる失敗と記憶喪失の回数は増えるばかりだ。そんな酒にまつわるあれこれだけでなく、笑い声や歩き方、佇まいといった所作までもが、父そっくりなことにふと気づき、苦笑することがしばしばある。

 そして、父は「弟二人は父親でなく、長男であるお前の背中を見て育ったんだ」と必ず続ける。しかし、それはつまり、私という薄っぺらいフィルムを通して、父の背中をみているということではあるまいか。事実、弟二人の振る舞いや言動に、父を感じることもままある。

 退職した後の父の背中は、いつか見た背中よりも小さく感じた。それは、ただ私たちが大きくなったからではないだろう。それでも、その頼もしさは変わることなく、一方で、それに対する愛しさは日増しに大きくなっている。父ほど楽観的なのは危険だと息子ながらに思うが、まわりを楽しませ、自分も楽しむ彼の偉大さを、自分も少しは受け継ぐことができたらと願う。