ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

俳句5「季語を説明しない・季語を離す」

 

 俳句についてはしばらく時間が空いてしまったが、今回は俳句2「季語」に関連して、「季語を説明しない」・「季語を離す」ことについて記したい。

 

季語を説明しない

 季語の連想力は絶大で、効果的に使いさえすれば同季の季語を次々に引き出す力があることは以前に記した(俳句2「季語」)。では、「効果的」に使うには具体的にどうしたらよいか。藤田氏は「季語はそのまま使うのが良い」と述べている。例句をあげて分析してみよう。

 冬の雲生後三日の仔牛立つ 飯田龍太

私なりの鑑賞文を以下に記す。

『寒さ厳しい牛舎の中、生後三日の仔牛が体を震えさせながら、必死に立ち上がろうとしている。仔牛は通常、生後数十分あまりで立ち上がるものだが、この仔牛は生まれつき体が弱かったのか、随分と時間がかかっていた。仔牛の震えは寒さによるものではないだろうが、その様子を見守る飼い主の体は冷え切っている。飼い主の静かに吐く息は白く、仔牛が踏ん張るたびに出る鼻息の白さはまた、その奮闘を象徴している。膝をついていた仔牛が蹄を地にしっかりとつけ、ついに立ち上がった。歓喜と安堵。幾分か寒さが和らいだ気さえする。振り返ってみた牛舎の外は、冬日で明るく輝いていた。枯木が風に揺れている。そして澄んだ青空には、大小の雲がまだらの模様を描いていた』

 季語「冬の雲」は「冬の雲」としてそのまま使われ、余計な説明は添えられていない。それが連想の幅を広げている。「冬の雲白し」とか「まだらな冬の雲」とか説明をしてしまうと、その色や形状は強調されるかもしれないが、そこにばかり注意がいって、情景全体の想像をかえって制限してしまうのだそうだ。どうしても説明したくなるが、そこはぐっとこらえて、季語の力を信じることが大事だ。

 

季語を離す

 書籍の内容をそのまま引用するのも芸がないので、例になりそうな句を作ってみた。

 穴あきのホースのしぶき水を打つ 黒麦叫人

季語は水を打つ(打ち水)だ。「打ち水をしているとホースに穴が空いていて、意図せぬところにも水を打っていた」という夏の風景を詠んでみた。ホースに穴があいていたらそこから水が出るのは当たり前なので、いまいち面白くない俳句に思える。『推理小説を読んでいて犯人に見当がつき、実際にその通りだったらしらける』という藤田氏の例えがわかりやすいのではないだろうか。

 では、季語を変えてみたらどうだろう。

 穴あきのホースのしぶき蝉の声 黒麦叫人

水しぶきから少し離れて、音の情報を出してみた。蝉の声が重なって聞こえるのと、複数の穴あき部分から水が漏れ出ししぶきをあげるのと、照りつける太陽と、滴る汗と、……、と情景のイメージがより広がった感じがしたら幸いだ。「季語を説明しない」とも繋がるが、当たり前の説明はせず、読者が思ってもみなかった季語を使うことだ。それが意外性を生み、イメージを広げるという。

 

 次回は「切れ」の発展で、よく使われる切れ字をいくつかまとめてみたい。