ライ麦畑で叫ばせて

日常・数理・旅や触れた作品の留書・思考の道草 などについて書いています。

俳句の基本2「季語」

 

 俳句の表現力を大きくする二つ目の約束ごとが「季語(季題)」である。一つの俳句には基本的に一つの季語を入れる必要がある。早速、例句をみてみよう。

 咲き満ちてこぼるる花もなかりけり 高浜虚子

この句の季語は「花」、春を表している。空は晴れ渡り花は美しい、あたりは風もなく静かである、などということは一切書かれていないが、花にぐっとピントを合わせることで、むしろそれが良く伝わると思う。「花の雨(桜の咲く頃に降る雨のこと)」、「落花」、「余花」、花のつく季語はいろいろあるが、俳句で「花」といえば「桜」のことをさしている。

 季節の大きな区分けは(2〜4月頃)、(5〜7月頃)、(8〜10月頃)、(11〜1月頃)、新年(年末年始)の五つである。さらに、四季はに分けられる。先ほどの句の「花」は正確には晩春の季語である。「花の雨」、「落花」なども晩春の季語。「余花」は時期を過ぎても咲き残っている桜のことなので初夏の季語だ。初仲晩全体にわたる季語は頭にを付して表される。例えば、「夜長」という言葉は普段も使われるが、これは秋全体、すなわち三秋の季語である。

 季語は無数にあるので、私も本やネットで調べながら一つずつ覚える日々である。季語を解説、例句を合わせてまとめたものを歳時記という。私も絶対にこれを買うべきなのだが、まだ手を出せないでいる。クリスマスがきたらサンタクロースにお願いしようかしらん。

 ちなみに「クリスマス」は仲冬の季語である。待て! うちはクリスマスじゃなくてクリスマスイブにプレゼントを貰うぞ! という人もいるだろうが、安心してほしい。「クリスマス」の傍題(子季語)として「クリスマスイブ」もちゃんとある。傍題とは、ある季語を主(親)として、それと関連したもの、形をかえたもののことである。どれを主季語、傍題にするかは歳時記編集の考え方によるらしい。傍題も季語として使えるが、主季語と全く同じと思って使うと意味やニュアンスが異なる場合があるので注意が必要だ。

 一句に季語が二つ以上入っていることを季重なりという。この場合、ピントがボケてしまわないように、どちらの季語が主役かを明確にして詠むという高度な技術が要求される。そのため、初学者は一句一季語が無難だ。また、季語を別のものに変えても成立してしまうことを季語が動くという。これは未熟な句といわれる。

 夏めくや雨に濡れたる居間の窓 黒麦叫人

適当に例になりそうなものを詠んでみたが、「夏めくや」の必然性が薄い。「冬の朝」でも「秋深し」でも良い気がしないだろうか。全体に風景がぼんやりとしているせいだと思う。「秋薔薇や」など、一つのものにピントを合わせると少しは良くなるか。「秋薔薇を見た」というような事実は強い。とはいっても、後ろの十二音が大したことないのでどうしようもない。

 さて、ものごとを伝えるときには「いつ」、「どこで」、「だれが」、「なぜ」、「どのように」、「なにを」したか、いわゆる5W1Hを考えて話を構成するとよい。だが、俳句の場合にはそれを全て入れてしまってはただの説明になって、味わいやしまりがなくなってしまう。ある程度の状況は季語に語らせ、またいくつかは次回説明予定の「切れ」によって省略するという工夫が必要になってくる。

 藤田氏の本を読んでいて「季語の威力」を知らされた箇所があった。私自身でまとめ直そうかと思ったが、全く安っぽくなってしまうので、そのまま引用させていただくことにした。

 愁(うれい)あり歩き慰む蝶の昼 松本たかし

以下は、藤田氏の師である水原秋櫻子が記した、この句についての鑑賞文である。

 なにか心にかかる事があって四、五日引きこもっていた。窓外は麗らかな日和で、道ゆく人の話し声さえ楽しげにきこえる。すこし歩いてみたら気も晴れるだろうと思って作者も外へ出てみた。丘には真盛りの椿が風にかがやき、道辺には蒲公英が咲き、菫(すみれ)も咲きまじっている。蝶が二つ三つ、作者の後になり先になりして飛んでゆく。その影がはっきり地にうつるのを見ると、時刻は正午を過ぎた頃なのだが、作者はまだ食事をすることも忘れていたのだ。

 しかし、歩いているうちに心も次第に軽くなっていた。家々の垣には、はや木の芽が伸び、連翹(れんぎょう)の咲く庭からは、鞦韆(しゅうせん、ぶらんこ)の軋りがきこえたりする。こうして半時ほど経て家に帰った気持は決して暗くなかった。門辺にいた犬がなつかしげに尾を振りつつ、身体をよせて来た。

  ──藤田湘子(2001初版)「俳句の入口 〜俳句の基本と楽しみ方」NHK出版、pp. 44-45

 この句の季語は「蝶」で三春。だが、この鑑賞文には蝶のほかに七つもの春の季語が登場している。季語は効果的に使いさえすれば、これほどまでに他の季語を誘い出すことができ、連想を際限なく広げられるということだ。すなわち、反対に良い句を味合うときには、これくらい想像力を豊かにして、情景を広げるべきなのである。

 ちなみに「蝶の昼」という言い回しは俳句に特徴的で、蝶の飛びまわる昼といった意味だそうだ。他にも「花の夜」などと使われることがあり、俳句では効果的な表現だ。

 他にも季語をうまく使うテクニックについて書きたかったが、長くなったのでそれはまた次の機会にしようと思う。次回は三つ目の約束、「切れ」についてだ。