ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

あゝ日本海

 

 そのまちには確かに初めて訪れたのに、何処か懐かしい感じがした。

 出張で訪れたのは鳥取県境港市。以前話題になった「米子鬼太郎空港」に降り立つと、地元の職員の方が出迎えてくれた。行先までは少し距離があるということで、車で迎えにきてくださったのだ。

 さっそく車は海沿いの国道を目的地へ向け北上していく。懐かしい。余計な理屈なく反射的にそう思った。懐かしさとは元来そういう感情的なのかもしれないが。

 車窓からみえる空はどんよりと曇っていた。日本海には太陽よりも雲が似合う。太平洋側にもう長いこと暮らし、仕事柄その上に数週間もいることがあっても、私の中の「海」といえば、このほの暗い海なのだ。

 車は海を右にみて走り続ける。左手には民家やよくあるチェーン店、だだっ広く車のほとんどいない駐車場、営業しているのかわからないパチンコ屋などの人工物が点在している。そこはかとない哀愁がとても良い。

「海を右に見て」とはいったものの、実際にはまだ海をはっきりとみていない。ほとんど閉じたブラインドの隙間からみる曇天のように、深緑の細かな線のあいだから海は見え隠れするだけだ。そうして我々の視界を遮るものの正体は、防砂林である。

 海沿いに植えられた無数の松は、海風に煽られ陸側に倒れかかって斜めに立っている。建造物とは明らかに異なるものの、整然と立ち並ぶそのすがたには、何か人工性を感じずにはいられない。事実、防砂林のほとんどは人の手によって植えられているわけだが。

 私が生まれ育った秋田県秋田市から、母方の実家である男鹿市へと向かう海沿いの道も、ちょうどこんな感じだった。防砂林をみれば、「あの向こうには海がある」と一対一で思ってしまう。たとえ海が見えていなくても、だ。

 晴れの日が少ないがゆえに薄暗く、松に遮られているためにほとんどみえない海。幸運にも、私はこのノスタルジーを、その感情の熱冷めやらぬうちに共有することができた。境港の職員の中に、秋田出身の人がいたのだ。首都圏に住んで長かった彼が、縁あって境港に勤めるようになってまず抱いた感情もまた、「懐かしい」だったらしい。

 そういえば、日本海には英語では二通りの言い方がある。"Japan sea"と"East sea"だ。国際学会なんかに行くと、どちらかのみを記載する発表と、二つを併記する発表があることに気づく。

 この海をめぐるさまざまな主張のなかで、「日本がなかったらこの海は太平洋の一部だろう」というのをみたことがある。私はそのような思考をもったことがなかったので、大変刺激的だった。この見解の良し悪しに触れるつもりはないが、「日本という地形があるから・ないから」ということを、私自身は意見や主張の根拠にできそうにない。それは宇宙の誕生や地球の変動のみならず、人類を含む生物の歩んできた歴史や文化をも総合した「自然」の結果であるように思うからだ。

 どの国の研究者がどのような呼び方をするか、そこには科学ではなく政治が大きく絡んでくる。私は当然"Japan sea"とだけ呼ぶのであるが、このあたりは私の苦手な分野なのでこれ以上は言及しないことにする。

 懐かしいはずの景色でも、ときやところ、自分の立場や心情が変われば、違ったふうにみえてくる。右手に広がるこの海もまた、違う表情をみせてくれるに違いない。少しこわくて寂しい気もするが、新たなすがたを覗いてみるのも良いだろう。

 旅に出よう、ここじゃないどこかへ*。

 車窓からみる空が徐々に明るくなってくる。天気予報によれば、境港は午後からすっかり晴れるそうだ。前方には「水木しげるロード」という門看板がみえてきた。目的地へはまだ少しかかるらしい。

 

 *詞:宮藤官九郎 曲:向井秀徳「天国」より引用させていただきました。