ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

お道化一家

 

 二〇十九年に入ってもう三か月が経とうとしているが、ここらでひとつ今年の正月を振り返ってみたいと思う。年末年始、私は実家に帰省していた。以上。

 と、まあこれは冗談だが、三か月も過ぎてしまうと記憶がもう曖昧だ。ひとまず思い出せることをいくつか列挙してみたい。

 その一、仲の良い四人で朝まで遊んだ。帰省時に私とよく遊んでくれる三人と、二軒の居酒屋で飲んでからスポッチャで朝まで運動という、「アラサー」にとっては非常に過酷なイベントをこなした。私の新婚祝いもしてくれた。感謝。

 その二、高校の同窓会があった。学年で三〇〇人くらいいたうち二〇〇人くらい集まったとかいないとか。参加者が多くても顔と名前を覚えていたのは仲が良かった数人だし、途中で催された「当時の〇〇覚えてるかなクイズ」みたいなのも全く覚えていないし、もやはそれが本当に私の通っていた高校の同窓会であったのかさえ怪しい。会場に向かう途中の雪道が法外に寒かったことだけはよく覚えている。恐るべし北国。

 その三、新春テレビゲーム大会が執り行われた。これは実家における正月の恒例行事で、弟二人が物心ついた頃──まあ、他人の物心なので不明だが、きっとかつての彼らには物心があった──から不定期で開催されている。私は四人中二位で、見事賞金二〇〇〇を獲得した。

 さて、これらの記憶の中で今回取り上げたいのは、我が家恒例の「新春〇〇大会」だ。理由はこの大会の存在を妻と友人にやんわりと軽蔑されたからだ。こんにゃろ!

 まずは大会の概要を説明したい。大会は先にいったように正月に開催される。開催の有無は父の気まぐれ、参加者は父、私と弟二人の計四人だ。内容は父の気まぐれの提案ののち、我々三兄弟の同意によって決定する。過去には「すごろく大会」・「スリッパ卓球大会」・「ダーツ大会」・「ボウリング大会」などが行われた。上位三名には謎の財源より幾ばくかの賞金が出ることになっている。

 先日この大会の存在を妻と友人に話したら、「うわあ、無理無理」「家族でそんなに仲良くできない」「ちょっと気持ちが悪いなあ」「これからは少し距離を置くことにする」「だいたい顔が元から気持ち悪い」などとと罵られた。他人のことだが、彼らには未だに物心がついていないことは明白だ。

 長男たる私は「アラサー」となり、二男三男は二十歳を過ぎた今も「わーい、新春〇〇大会だー!」とウキウキしてこれに臨んでいたら流石に気持ち悪かろう。しかしこれだけは主張したい。我々は「そこまでいうならやってやるか」と仕方なしに父に付き合っているに過ぎないのだ。まあ、仕方なく付き合うことを楽しんでいるふしはあるが。

 幼少時代から少年時代にかけては確かに喜んで参加していた。そして、それからその大会を拒絶することなく今日まできている。それはきっと、父が変化を嫌うことに我々兄弟が気づいているからなのだ。

 母と比べてみても、父の方がより変化を受け付けない。あらゆるものごとに対して「これはこうあるものだ」と信じてやまない。時代の流れについていくことができない? いや、違う。ついていく気すらないのだ。友人に訊いてみてもそうらしい。歳をとった男には、どうやらそういうところがあるらしい。

「家族の正月はこうあるべき」という父の枠を、我々は壊すことをしない。変化を嫌う我が家の奇妙な風潮に逆らうことをしない。我々は、予定調和を演じて他人を笑わせようとする道化なのだ。

 私たち兄弟だけが道化なのではないはずだ。母も、そして父も道化となることがある。道化になるのは簡単なことではない。自分を他人より下げることでしか、道化は他人を笑わせない。それは、いらないプライドは捨て、しかし道化としての誇りは確かにもつということだ。

 誇りやプライドなどといって格好をつけてしまったが、我々はただ単純に変わることが面倒くさくて、またより深いところで変わることを恐れているだけなのかもしれない。だがそれでも、自分を下げて、下げて、下げて、地にめり込んで地底に住むお道化一家となったとしても、他人の笑いを喜ぶ道化というものにどこかで憧れを抱いてしまう自分がいる。ピン芸人だと自分を下げて笑いをとるヒロシと、道化に似ているお茶目なゴー☆ジャスが好きなのも、何か関係があるに違いない。

 道化は四六時中道化、シ・ロ・ク・ジ中道化だ。この記事にはちょっとしたからくりがある。ヒントは数字。そんな仕掛けを施すくらいの、私はちょっぴり知的な道化。