ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

感想59『きみのためのバラ』・『ポイズンドーター・ホーリーマザー』

 

96. 池澤夏樹『きみのためのバラ』(新潮文庫

再読したい度:☆☆☆☆★

『夏の朝の成層圏』以来の著者作。世界各地を旅する著者だからこそ書けるであろう、味わい深い8編が収録されている。国内外さまざまな場所が舞台となっているが、人や場所に左右されない揺るぎない感情が根幹にあるからだろうか、すんなりと入り込める作品ばかりだ。

 いくつか印象深かったものを挙げる。まずは『都市生活』。航空券の取り違いなど、出張における道中のいざこざが、本音っぽい文句とともに描かれている。旅における一度限りの出会いというのも共感できるところがあって良い。表題作『きみのためのバラ』。乗り物で持ち主不明の荷物を発見したときの取り越し苦労(不審物への警戒)をもとに、淡い過去の記憶が思い出される。満員の車両の中での奮闘は、異国にて再会の手掛かりもない「きみ」にバラを届けるために必死に動き回って以来のことだった。

 先の2編がエッセイテイストとするなら、次に挙げるのはフィクションかファンタジーというのが適切か。『連夜』は女医とアルバイトの男の、束の間の激しい肉体関係を描いた作品。古くから琉球に伝わる神だったか霊だったかが憑依した結果の情事なのだが、いやらしくなくむしろ理知的で、それこそ古くからの言い伝えを聞かされているような味わい深さがあった。

『レシタションのはじまり』は、「心を鎮める不思議な言葉」がテーマだ。ある民族だけに伝わる「ンクンレ」と呼ばれる不思議な呪文。これ唱えるとたちどころに心穏やかになることから、 彼らは一切他者と争うことがない。ひょんなことからその民族に触れ、呪文の存在を知った男が、その存在に感服し、世間に公表した。心を鎮めるこの言葉はいつしか「レシタション」と名付けられ、世界中に広まり、この世から争いは消えたのだった。こちらも実在しない呪文、言葉のオンパレードなのだが、それがいかにも現実にあるように受け入れられる記述力、表現力が素晴らしい。

 短編の共通項は「出会い」だろうか。人との出会い、土地との出会い。快楽との、怪異との、悲しみとの、平和との、それはひょっとしたら禁忌との。出会いという揺るぎない者を根幹に、それぞれが違った響きを残してくれる8編だった。

 

97.湊かなえ『ポイズンドーター・ホーリーマザー』(光文社文庫

再読したい度:☆☆☆★★

 こちらも短編集だ。こちらの共通項は「ねじれ」だろうか。ある人からみると心地よく、素晴らしいこと(あるいは人)であっても、またある人にとっては苦痛で、不快で、消し去りたくなるようなこと(人)であることがある。そんな立場や考え方の違いによる認識のねじれを巧妙に描いた6編が収録されている。

 やはり表題の『ポイズンドーター』と『ホーリーマザー』が印象深い。『ポイズンドーター』は、自らの母を束縛が激しく、なにも自由にさせてくれない「毒親」と敬遠する娘の生き方を描いた話だ。上京し、実家に寄り付かず芸能活動をする娘は、地元の友人たちとも疎遠になっていく。その元凶は他ならぬ「母親」なのである。この話だけを読むと、はて、これは「ポイズンマザー」では? と思う。その答え合わせが、書き下ろしの『ホーリーマザー』でなされていく。2作を読み切ったあとの衝撃とやるせなさは、さすが湊かなえ氏というべきだろうか。

 最後にもう一編だけ。『ベストフレンド』は新人作家たちの嫉妬が招いた悲劇だ。巧みな叙述トリックで展開が読めなかった。嫉妬心を活力に昇華できる者もいれば、殺意を増幅させる者もいる。では、どちらが「ねじれ」ているかと問われれば、ぱっと答えられないのが、怖いところである。