ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

感想36『2017年版夏井いつきの365日季語手帖』

 

58. 夏井いつき『2017年版夏井いつきの365日季語手帳』(マルコボ.コム)

再読したい度:☆☆★★★

 図書館シリーズ。1日1句、全365句が味わえるようになっているのを、2週間弱で堪能した。取り上げられた俳句は写実的で基本的なものが多い印象。調べると年ごとにシリーズ化して出ているようなので、例句を比較する意味でも、別の年のを読みたくなった。以下では、各月で印象的だった句を紹介していくことにする。

 

1月4日「歌留多」

かるた切る心はずみてとびし札 高橋淡路女

 お正月の楽しい一場面が目に浮かぶ。しかしカルタというのは一枚一枚が厚いし滑るし本当に切りづらい。

 

2月23日「梅」

つやつやと梅ちる夜の瓦かな 栗田樗堂

 街灯に照らされて「つやつやと」梅の花びらが映えているのだろう。それが夜の瓦という闇に吸い込まれていく。

 

3月9日「春雨」

春雨やゆるい下駄貸す奈良の宿 与謝蕪村

 春雨が降ってきて、靴が濡れるといけないからと下駄を貸してくれたのか。弱い雨と、緩いが故にちょっとぎこちない下駄の音が聞こえてくるようだ。何気ない気づきを詠みたいものである。

 

4月19日「蝶」

蝶がくる阿修羅合掌の他の掌に 橋本多佳子

 倒置法と「くる」という臨場感の出し方が秀逸。三面六臂の阿修羅の、正面の合掌でない他の手に、蝶がとまる瞬間が見える。

 

5月8日「余花」

余花に逢ふ再び逢ひし人のごと 高浜虚子

 咲き残った桜を見つけ、「やあ、先日に続いて、また会いましたね」と挨拶したい気持ちに。一年越しの再会と違い、時間がそれほど経っていない分、かしこまった挨拶ではない。

 

6月2日「緑陰」

緑陰や矢を獲ては鳴る白き的 竹下しづの女

 青々と茂る木々の中に弓道の的があるのだろう。中七「矢を獲ては鳴る」の表現が美しい。

 

7月27日「炎天」

炎天を槍のごとくに涼気過ぐ 飯田蛇笏

 潔い直喩が、束の間の涼しさを強調している。これは自然風のことだと思うが、百貨店などの前を通り過ぎたときの一瞬の冷房風も、人工的だが鋭利でよい。

 

8月5日「無季」

しめやかな山とおもへば墓がある 種田山頭火

 季語なしや自由律の俳句が取り上げられているのも面白かった。この句も季語はないが、夏っぽいのがわかる。薄暗く物静かで、平地と比べて体感の気温が2度くらい低いような山中。そうかと思えば、やはり墓があった。

 

9月10日「月光」

月光にぶつかって行く山路かな 渡辺水巴

 山道を登っていると目の前に美しい月が見えてきた。山道でなくとも、坂道や階段などで経験のありそうな風景だが、「ぶつかっていく」の表現が良い。

 

10月9日「秋の潮」

秋潮のひかりが音となるところ 夏井いつき

 面白いのは光が音に変わって伝わってくると表現したこと。しかも、ここがちょうど遷移点と言っている。ここより海に近いと光の映像が強過ぎるし、遠いとほとんどの光は音に変わってしまって弱々しい。光と音の時差みたいなものも感じられて面白い。

 

11月10日「冬」

中年や独語おどろく冬の坂 西東三鬼

 思ったことが口をついて出てしまい驚くことが最近多い。私の場合は歩行を妨げる人に対する文句が多いのだが(やめたい。想定より声が大きいときなどは相手に聞こえているかも知れない)、この句の場合は「寒いなあ」とか「あ、雪だ」とか、「ここも綺麗な電飾」などだろう。こんな日常も俳句にできる。

 

12月22日「焚火」

焚火かなし消えんとすれば育てられ 高浜虚子

 皮肉が効いていて好きだ。消えそうなところを元気に再燃するのだから「うれし」と見る人もいるかもしれない。だが、強制的に何度も燃やされることを虚子は「かなし」と見た。炎は、消えてしまって静かにしていたいだろうに。