ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

病は病

 

かねてよりスーパー健康体と自負してきた私の身体も,加齢と不摂生から何かの危険に脅かされつつあるのかもしれない,と,最近不安に思うことが増えてきた。

 

この前,私の参加しているあるプログラムの同期達と飲む機会があった。

その中の一人が乾杯に際して「喉が腫れて病院にいったから酒を控える」と言った。

その腫れはストレスなどが原因でできる「粉瘤」というものだったらしい。同席した他の同期達が皆その病名を知っていたのに驚いた。私の常識のないところをさらしてしまったようだ。

当の彼は,乾杯こそオレンジジュースだったものの,二杯目からビールを飲んでいた。大事ではないようで安心した。

 

この町に越してきてもうすぐ8年だが,私はここで1度も病院に行ったことがない。

バイクで転倒して血だらけになった脚は消毒液をぶっかけて様子をみているうちに治った。

多少の頭痛や腹痛は忍耐だし,稀にひく風邪はのど飴で治す。

そもそも,幸いにしてインフルエンザなど諸々のウイルスに縁がないというのもあるだろうが,基本的に「病は気から」と思って気合で何とかしてきた。

 

何故こんな「我慢の男」的なSTYLEになってしまったのだろう。

振り返ると,少年野球をしていたときは,罰か何かで足がつるまで延々とグラウンドを走らされていたことがよくあったなぁ。 

中学の野球部時代もそうだった。ここらで忍耐がついたのか?

 

高校のバドミントン部時代は,「多少の風邪なんかで部活が休めるか」といってアップで山道を何キロも走って,風邪をこじらせて肺炎になったこともあった。

咳が止まらないので病院に行ったら「比較的重い肺炎です。今すぐ入院したほうが良いです」と医者にいわれたが,「いや,学校休みたくないんで…」的な自分でもよくわららない理由でそれを拒んだ。咳は我慢だ。

これは別に,「学校大好き」とか「部活大好き」とかいうことではないのだ。

「この程度で部活学校を休んではいけないのではないか」,「ただサボっているだけだと思われるのではないか」というある種の強迫観念に駆られていたがゆえである。

 

幸い身体が丈夫だったので,これまでしてきた多少の無理にも壊れることなく生きてこられた。入院も点滴も骨折も何もなしだ。

 

ここ8年病院に行っていないと前述したが,実は「歯医者」には何度かお世話になっている。病院といったのは,内科とか外科とか耳鼻科とか──,まあ,歯科以外のところである。

夜中に眠れないほどの激痛を歯の奥に感じ,次の日すぐに歯医者に行くと,「歯が根から完全に腐っています。膿が歯茎も腐らせていて,空いた穴が鼻の奥の空間まで貫通しています」という信じがたい事実を告げられた。

歯が腐った原因は不明。虫歯などではなく,「自然に歯が死んでしまうこともあるんですよ。ハハハ―」と医者は陽気に笑っていた。全然面白くないのですが。

この症状が8年間で2回,2本の歯が勝手に死んだ。

「穴が貫通するまで進行するのは珍しいんですよね。痛みとか違和感はなかったんですか?」

そんなことを何度か訊かれた。

「ええ…,何も…」

申し訳なさそうにそう答えたのを覚えている。

 

ここまでくると,忍耐がどうとか,気合でどうとかではなく,単純に身体が鈍感なだけなのではないか?と思えてくる。

病気にはかかっているがそれに気づかないだけで,本当は病院に行った方が良いことが多々あったのではなかろうか。

スーパー健康体ではなくてただのスーパーど阿呆だったのかもしれない。

 

鈍感と言われればそうだ。

私は人に比べて辛い食べ物につよい。甘いのもしょっぱいのも苦いのもイケる。

劇物処理班」という異名をつけられたこともある。

ものを食べて「まずい」と思うこともない。

私の基準は「うまい」,「おいしい」,「ふつう」の3段階だ。

 

少し敏感になってみるか。

そうして自分の身体を考えてみると,最近,腹が出てきた。髪が減ってきた。腰が痛い。肩が重い。そして,なんと,少し歯が痛い。

歯は歯医者に行くとしよう。

他は「気合」だ。というのはもうやめて,原因を考えてみる。

年もあるだろうが,それに抗うことはできない。

となると解決策は「運動」じゃないか?

 

この結論に至り,最近ランニングウェアを購入した。

まだ1回しか走っていないが。