ライ麦畑で叫ばせて

日常・数理・旅や触れた作品の留書・思考の道草 などについて書いています。

オレサマと豆の木

 

 先日、友人と炉端焼きの店に行った。先の店でたらふく飲み食いした挙句、一度は改札の前まで行ったのに「やっぱもう一軒行くか」といってふらりと立ち寄ったのが、その店であった。

 当然お腹は空いていなかったのだが、せっかくの炉端焼きだし何か一つは焼き物を頼もうと、品書きをぱらぱらとめくっていった。その消極的な態度が気になったのか、店長らしき人物が「こちらに本日のおすすめもありますので」と一枚の紙っぺらを出してきた。そこで我々の目にとまったのが「そら豆焼き」だった。

 注文をして酒を飲んでいると、例の店長っぽい男が我々の会話に入ってきた。終わらない。なかなかいなくならない。ああ、消極的な態度どうこうと心配することはなかった。この人はとにかく喋りたい人なんだ。

 他人を含めた会話に少し疲れ、ちびちびと酒を嘗めていると、程なくして「そら豆焼き」が出てきた。

 でかい、でかいぞ。こんなでかい豆、見たことない。

 さやは15センチ定規より一回り大きいくらいか。そら豆って枝豆より少し大きいくらいじゃね? と漠然と思っていたが、こんなに大きくなるものだとは。

「これ、どうやって食うんだ?」

 友人と顔を見合わせる。さやは簡単に剥けそうなものではない。

「このままいけるんじゃねえか」という友人の言葉を信じてかぶりついたはいいものの、口から緑の物体を十数センチも出したまま、再び顔を見合わせる。

「違うみたいだな」

 苦闘の末、さやを爪でえぐって掻き切って、ようやく中の豆と対面できた。豆は四粒。ほくほくと湯気が立ち、なかなかうまそうだ。

「あらためて、いただきます」

 かじる。なんとも言えない食感だ。もそっと、もさっとしている。

 私は好き嫌いなくなんでも食べる、いや、この前「私は好き嫌いがない」と妻に言ったら、「嘘をつくんじゃない。お前はこの世界の全ての食べ物を食ったことがあるのか?」と激昂された。ひええ。私は好き嫌いがない、もとい、私はこの世の全ての食べ物を食した訳ではないものの今のところ嫌いなものはないのだが、友人は嫌いな食べ物がそれなりにあるのだ。案の定、彼は「うげ」といって皮を吐き出していた。

「駄目だ、これ苦手」

 彼の気持ちもわからなくはない。この豆は大きくなりすぎていて、いささか大味なのかもしれない。

「どうしよう、これ、植えるか。でっかい豆の木でも生えてくるんじゃねえか?」

 友人がいった。これは言わずと知れた「ジャックと豆の木」だな。だが、はて、一体どんな話だったかな?

「確か豆をまいたらでっかい木が生えて、登って行ったら鬼がいたんだけど、なんとかなったんだよ」と友人が説明する。

「じゃあ、こんな話か?」

『オレサマと豆の木。ある日、オレサマは炉端焼きの店に行った。そこで頼んだそら豆焼きが思ったよりも大味だったので、惜しみつつ庭に植えると、そこから豆の木がぐんぐん伸びた。何か面白そうなのでその木を登っていくと、鬼がいたのですぐさま地上に逆戻り。鬼が追ってこないようにと豆の木を「どりゃあ!」と素手でぶっ倒すも、鬼は執念深くオレサマを追って降りてきてしまう。でも、大丈夫。大きな豆の木を素手でぶっ倒すほどの力をもったオレサマにとって、鬼など少しの問題にもならなかったのだ! 苦難があろうはずもない。力さえあれば全てがうまくいくのだ! おしまい』

 友人は「これはお前、記事にした方がいいぞ」といって笑っていた。

 どうです? 本家豆の木のお話との適合率は何パーセント? 私は六割こんな話だったと思っていますが。

 ちなみに、そら豆焼きは残さず、また埋めることもせず、きちんといただきましたとさ。おしまい。