ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

感想53『文豪と俳句』

 

86. 岸本尚毅『文豪と俳句』(集英社新書

再読したい度:☆☆☆★★

 小説家の詠む俳句を、作者の小説や考え方、性格と照らし合わせながら解釈を与えた一冊。とりあげられた作家は11名。せっかくなので全員の特徴を例句を交えながらまとめる。

 

幸田露伴(こうだろはん)

 俳句を精妙に仕上げる才能において、龍之介の足元にも及ばないといわれる。しかし、文人としての全人格をもって、作り手としてのみならず、読み手として俳句と向き合ったこと、俳句が家族との絆になったことが、彼と俳句との重要な繋がりであった。

 蘆(あし)いまだ芽ぐまず春の水しよろり

「しょろり」はわずかな水がかすかに流れているさま。オノマトペへのこだわりが強かったようだ。

 

尾崎紅葉(おざきこうよう)

 胃癌により三十五歳で死去した紅葉の晩年を象徴する作品を、改作前後を比較するかたちで挙げる。

改作前 元日の混沌として暮れにけり

改作後 混沌として元日の暮れにけり

 明瞭さと句形の美しさ(五七五)は「前」の方がうえだが、「後」はより混沌が強調されている。「前」の混沌は忙しなく過ぎる元日に限定される一方、「後」はずっと混沌とした状況で、元日すらもその一部に取り込まれてしまった感が強くなった。

”遊び心で詠んだ句が、やがて自分の気持ちの受け皿のように思えてきて、思い乱れる心境を託したのかもしれない”と解説されている。

 

泉鏡花(いずみきょうか)

 わが恋は人とる沼の花菖蒲(はなあやめ)

”魅入られた人を取り込む魔性の沼。その沼の精のような花菖蒲に恋をした”という解説だったが、私は、「人とる沼の花菖蒲のように、私は恋する人を魅惑する」と解釈してしまった。どちらにしても、妖艶で魅力的な句だ。このような美しく、少し怖いような雰囲気は、小説の作風と通ずるものがある。

 

森鴎外(もりおうがい)

 俳句には軍医の顔が表れている。

 夏草の葉ずゑに血しほくろみゆく

 葉ずゑは葉の先の意味。古典(ここでは、夏草や兵どもが夢の跡)に寄ることで、事実と多少の乖離がみられる作品が多かったようだ。機関銃で千人単位の死者がでる現実で、「夏草の葉ずゑに血しほ」で済んだかといわれると、どうだろうと思う。

 ともかく、詩や長歌、短歌には思いの丈をぶつけた一方で、俳句を詠むときは、肩の力の抜けた、伸びやかな、遊び心のある、とても鴎外とは思えない側面をみせてくれたようだ。

 

芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)

 小説家としてはいわずもがな、俳句も一級品と評されている。

 蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな

 蝶の舌を山菜のゼンマイに喩えた句。才気をもってやすやすと句を詠んだような、観察力と知性が感じられる。

 一方、十七音の一部を変えたとき、全体がどう変化するかを楽しむ、俳句オタクの側面も持ち合わせていた。改作が重ねられた句を一つ挙げよう。最終的に掲載を決めたものに丸印をつけている。

 初秋の蝗(いなご)つかめば柔かき○

 初秋や蝗つかめば柔かき

 初秋や蝗握れば柔かき

 上五を「や」で切ると初秋の情景に広がりが出るが、「初秋の蝗」とすることでイナゴの若さにフォーカスして表現する方を採用した。そして、柔らかいなら「握る」より「つかむ」だろう。芥川の繊細な感覚がわかる。

 また、龍之介は「調べ」へのこだわりも強かった。調べとは、いくつかの言葉が並び、言葉と言葉の関係の中から生まれてくるものだ。そのこだわりは、芭蕉と蕪村の句合わせに色濃く表れている。

 春雨や蓬(よもぎ)を伸ばす草の道 芭蕉

 春雨やものかたりゆく蓑と笠 蕪村

 芭蕉の句からは、生命を育む春の雨の調べがきこえる。十七音が奏でる緊密なアンサンブルであり、龍之介はこちらに軍配を上げた。一方、蕪村の句は「春雨」に依存しているのだという。これを「秋雨」に変えても、立派に句が成立してしまう。芭蕉の「春雨」は「秋雨」に変えると「生命を育む」感じが薄れる。龍之介は、蕪村の句は「春雨」というソリストを目立たせるあまりい、ソリストに依存していると評した。

 龍之介は”小説を書いてゐるとき、よくふつと俳句が出来てね。俳句を考へてゐるのが楽しくて、小説の方が進まなくなつてしまふ”と語ったことがあるほどの、俳句オタクだった。

 

内田百閒(うちだひゃっけん)

 三島由紀夫に「現代随一の文章家」と評される。水を生き物かのように巧みに表現し、鋭さと鈍さ、明と暗の並置を好んだ。

 秋立つや地を這う水に光りあり

 稲妻の消えたる海の鈍りかな

 春近し空に影ある水の色

 一方、切れへの意識が低かったと評されている。読者を徐々に怪異へと導く漸層法により文章を書いた彼にとって、切れ(飛躍や断絶)は合わなかったようだ、

 

横光利一(よこみつりいち)

旅愁』や『微笑』では作品の登場人物に句を詠ませた。『微笑』の句を挙げる。

 わが影を逐(お)いゆく鳥や山ななめ

 利一は、”若者は自意識過剰の泥にまみれている。俳句は自意識の泥を洗い流してくれる”と語った。登場人物に自意識と向き合わせ、それぞれにその人物らしい句を吐かせるために奮闘した。

 

宮沢賢治(みやざわけんじ)

 詩や童話で有名な賢治は、その「詩人の腕力」でもって俳句を歪ませたのだという。

 岩と松峠の上はみぞれのそら

「みぞれのそら」は字余りだ。普通だったら「みぞれそら」とおさめるところだが、それだと、「みぞれ」が「そら」の一部になってしまう。「みぞれ」と「そら」を一語一語として粒立たせるために、字余りを厭わなかった。そして、「とうげの・うえは・みぞれの・そら」という切れ切れの調子が、「詩人」賢治の声だった。

 

室生犀星(むろうさいせい)

 ゆきふるといひしばかりの人しづか

「ゆきふる」といっただけで静かになった人。「イ」段の音が十七音のうち七を占めており、その音の美しさがひらがなを多用することでより際立っている。

 炎天や瓦をすべる兜虫

 先行句は「すべる」が「のぼる」だったようだ。「すべる」の方が徒労感があって良い。

 犀星は高浜虚子を『骨髄までの俳人なり』と評した。犀星は、生計のために小説家となった(=製造業)が、高浜虚子は選句・選者(=サービス業)とホトトギス(=流通業)に専念することで俳人として生き抜いたからだ。犀星の俳句への想いが感じられる言葉だ。

 

太宰治(だざいおさむ)

 そのまま小説の内容(=太宰治の人生)が思われる句が多い。

 幇間(ほうかん)の道化窶(やつ)れやみづつぱな

 幇間(遊客の機嫌をとるのが仕事の男)が、道化を演じてへとへとになっている。水っぱなまでたらしてだ。『道化の華』や『人間失格』など複数の作品に通ずる。

 ひとりゐて蛍こいこいすなつぱら

 女性との心中を繰り返す太宰は、蛍を呼び寄せる枯れ果てた砂っぱらのように思える。『道化の華』には「ほたる」というあだ名の女性(真野)がいた。

 追憶のぜひもなきわれ春の鳥

 追憶の中の私はどうしようもないものだといっている。「恥の多い生涯を送ってきました」で始まる『人間失格』が思い出される。

 治は俳句というジャンルの本質を見抜いていたようで、こんな発言をしていた。”芭蕉だって名句が十句あるかどうか、あやしいものだ。俳句は、(中略)人意のままにならぬところがあるものだ。失敗作が百あって、やっと一つの成功作ができる。出来たら、それもいいほうで、一つも出来ぬほうが多いと思う。なにせ、十七文字なのだから。”

 

川上弘美(かわかみひろみ)

 小説同様、奇妙な世界観が魅力的に思った。どこか優しさのある幽霊や怪異、空想上の生物が、俳句にも登場する。

 露寒や穴にはきつと龍がゐる

 春の夜人体模型動きさう

 初夢に小さき人を踏んでしまふ

 どれも日常に潜むファンタジーだ。一般人にはなかなかできないような発想に思うが、それを大胆にやってのけるところに作者の凄さがあるように思う。