86. 岸本尚毅『文豪と俳句』(集英社新書)
再読したい度:☆☆☆★★
小説家の詠む俳句を、作者の小説や考え方、性格と照らし合わせながら解釈を与えた一冊。とりあげられた作家は11名。せっかくなので全員の特徴を例句を交えながらまとめる。
幸田露伴(こうだろはん)
俳句を精妙に仕上げる才能において、龍之介の足元にも及ばないといわれる。しかし、文人としての全人格をもって、作り手としてのみならず、読み手として俳句と向き合ったこと、俳句が家族との絆になったことが、彼と俳句との重要な繋がりであった。
蘆(あし)いまだ芽ぐまず春の水しよろり
「しょろり」はわずかな水がかすかに流れているさま。オノマトペへのこだわりが強かったようだ。
尾崎紅葉(おざきこうよう)
胃癌により三十五歳で死去した紅葉の晩年を象徴する作品を、改作前後を比較するかたちで挙げる。
改作前 元日の混沌として暮れにけり
改作後 混沌として元日の暮れにけり
明瞭さと句形の美しさ(五七五)は「前」の方がうえだが、「後」はより混沌が強調されている。「前」の混沌は忙しなく過ぎる元日に限定される一方、「後」はずっと混沌とした状況で、元日すらもその一部に取り込まれてしまった感が強くなった。
”遊び心で詠んだ句が、やがて自分の気持ちの受け皿のように思えてきて、思い乱れる心境を託したのかもしれない”と解説されている。
泉鏡花(いずみきょうか)
わが恋は人とる沼の花菖蒲(はなあやめ)
”魅入られた人を取り込む魔性の沼。その沼の精のような花菖蒲に恋をした”という解説だったが、私は、「人とる沼の花菖蒲のように、私は恋する人を魅惑する」と解釈してしまった。どちらにしても、妖艶で魅力的な句だ。このような美しく、少し怖いような雰囲気は、小説の作風と通ずるものがある。
森鴎外(もりおうがい)
俳句には軍医の顔が表れている。
夏草の葉ずゑに血しほくろみゆく
葉ずゑは葉の先の意味。古典(ここでは、夏草や兵どもが夢の跡)に寄ることで、事実と多少の乖離がみられる作品が多かったようだ。機関銃で千人単位の死者がでる現実で、「夏草の葉ずゑに血しほ」で済んだかといわれると、どうだろうと思う。
ともかく、詩や長歌、短歌には思いの丈をぶつけた一方で、俳句を詠むときは、肩の力の抜けた、伸びやかな、遊び心のある、とても鴎外とは思えない側面をみせてくれたようだ。
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)
小説家としてはいわずもがな、俳句も一級品と評されている。
蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな
蝶の舌を山菜のゼンマイに喩えた句。才気をもってやすやすと句を詠んだような、観察力と知性が感じられる。
一方、十七音の一部を変えたとき、全体がどう変化するかを楽しむ、俳句オタクの側面も持ち合わせていた。改作が重ねられた句を一つ挙げよう。最終的に掲載を決めたものに丸印をつけている。
初秋の蝗(いなご)つかめば柔かき○
初秋や蝗つかめば柔かき
初秋や蝗握れば柔かき
上五を「や」で切ると初秋の情景に広がりが出るが、「初秋の蝗」とすることでイナゴの若さにフォーカスして表現する方を採用した。そして、柔らかいなら「握る」より「つかむ」だろう。芥川の繊細な感覚がわかる。
また、龍之介は「調べ」へのこだわりも強かった。調べとは、いくつかの言葉が並び、言葉と言葉の関係の中から生まれてくるものだ。そのこだわりは、芭蕉と蕪村の句合わせに色濃く表れている。
春雨やものかたりゆく蓑と笠 蕪村
芭蕉の句からは、生命を育む春の雨の調べがきこえる。十七音が奏でる緊密なアンサンブルであり、龍之介はこちらに軍配を上げた。一方、蕪村の句は「春雨」に依存しているのだという。これを「秋雨」に変えても、立派に句が成立してしまう。芭蕉の「春雨」は「秋雨」に変えると「生命を育む」感じが薄れる。龍之介は、蕪村の句は「春雨」というソリストを目立たせるあまりい、ソリストに依存していると評した。
龍之介は”小説を書いてゐるとき、よくふつと俳句が出来てね。俳句を考へてゐるのが楽しくて、小説の方が進まなくなつてしまふ”と語ったことがあるほどの、俳句オタクだった。
内田百閒(うちだひゃっけん)
三島由紀夫に「現代随一の文章家」と評される。水を生き物かのように巧みに表現し、鋭さと鈍さ、明と暗の並置を好んだ。
秋立つや地を這う水に光りあり
稲妻の消えたる海の鈍りかな
春近し空に影ある水の色
一方、切れへの意識が低かったと評されている。読者を徐々に怪異へと導く漸層法により文章を書いた彼にとって、切れ(飛躍や断絶)は合わなかったようだ、
横光利一(よこみつりいち)
『旅愁』や『微笑』では作品の登場人物に句を詠ませた。『微笑』の句を挙げる。
わが影を逐(お)いゆく鳥や山ななめ
利一は、”若者は自意識過剰の泥にまみれている。俳句は自意識の泥を洗い流してくれる”と語った。登場人物に自意識と向き合わせ、それぞれにその人物らしい句を吐かせるために奮闘した。
宮沢賢治(みやざわけんじ)
詩や童話で有名な賢治は、その「詩人の腕力」でもって俳句を歪ませたのだという。
岩と松峠の上はみぞれのそら
「みぞれのそら」は字余りだ。普通だったら「みぞれそら」とおさめるところだが、それだと、「みぞれ」が「そら」の一部になってしまう。「みぞれ」と「そら」を一語一語として粒立たせるために、字余りを厭わなかった。そして、「とうげの・うえは・みぞれの・そら」という切れ切れの調子が、「詩人」賢治の声だった。
室生犀星(むろうさいせい)
ゆきふるといひしばかりの人しづか
「ゆきふる」といっただけで静かになった人。「イ」段の音が十七音のうち七を占めており、その音の美しさがひらがなを多用することでより際立っている。
炎天や瓦をすべる兜虫
先行句は「すべる」が「のぼる」だったようだ。「すべる」の方が徒労感があって良い。
犀星は高浜虚子を『骨髄までの俳人なり』と評した。犀星は、生計のために小説家となった(=製造業)が、高浜虚子は選句・選者(=サービス業)とホトトギス(=流通業)に専念することで俳人として生き抜いたからだ。犀星の俳句への想いが感じられる言葉だ。
太宰治(だざいおさむ)
そのまま小説の内容(=太宰治の人生)が思われる句が多い。
幇間(ほうかん)の道化窶(やつ)れやみづつぱな
幇間(遊客の機嫌をとるのが仕事の男)が、道化を演じてへとへとになっている。水っぱなまでたらしてだ。『道化の華』や『人間失格』など複数の作品に通ずる。
ひとりゐて蛍こいこいすなつぱら
女性との心中を繰り返す太宰は、蛍を呼び寄せる枯れ果てた砂っぱらのように思える。『道化の華』には「ほたる」というあだ名の女性(真野)がいた。
追憶のぜひもなきわれ春の鳥
追憶の中の私はどうしようもないものだといっている。「恥の多い生涯を送ってきました」で始まる『人間失格』が思い出される。
治は俳句というジャンルの本質を見抜いていたようで、こんな発言をしていた。”芭蕉だって名句が十句あるかどうか、あやしいものだ。俳句は、(中略)人意のままにならぬところがあるものだ。失敗作が百あって、やっと一つの成功作ができる。出来たら、それもいいほうで、一つも出来ぬほうが多いと思う。なにせ、十七文字なのだから。”
川上弘美(かわかみひろみ)
小説同様、奇妙な世界観が魅力的に思った。どこか優しさのある幽霊や怪異、空想上の生物が、俳句にも登場する。
露寒や穴にはきつと龍がゐる
春の夜人体模型動きさう
初夢に小さき人を踏んでしまふ
どれも日常に潜むファンタジーだ。一般人にはなかなかできないような発想に思うが、それを大胆にやってのけるところに作者の凄さがあるように思う。