ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

とりあえずやっとけ

 

 4月に調査航海に出たのだが、久々にやらかした。

 各深度の水温や塩分、栄養塩や有機物の濃度なんかを測るのには、船上から採水器やセンサーが一体となった物体をウインチを使って降下させる必要がある。外洋では深度2000 mあたりまで観測するので、繰り出し〜巻き上げ〜揚収までとなると結構時間がかかる。ワイヤーの繰り出し・巻き上げ速度はだいたい1 m/sにしているから、単純計算で一回の上げ下ろしに4000 sを要する。途中、水を採りたい深度では機械を止めて、採水して、と作業が入れば、全体で所要時間は1.5時間というところか。

 採った「欲しい深度」の水は10 Lタンクに入った分しかない。周りを海という大量の水に囲まれながら、少しの水を大事に大事に分析用の容器に移し替える作業は、この重要性がわからない人からみれば滑稽だろう。それでも、観測する側はいたって真面目だ。水は一滴も無駄にできない。3回の共洗い(少量の被測定溶液を用いて容量器具を洗うこと)に使う水も最小限に抑え、できる限り分析に回したい。

 前航海で5 Lの水を要する採水項目があった。実際にこの分析を担当するのは乗船していない陸上の研究者で、我々はサンプリングを頼まれたのである。しかも、私はこの分野に明るくない人間であった。この採水は、こっちの測点ではいらない、そっちでは1タンク、あっちでは2タンク(= 10 L)など決まりが複雑で、初見の私からすると正直「なんのこっちゃ」だったのである。

 順番で回ってきた測点では、どうやら2タンク必要らしく、2つのボトル(= 20 L)から2タンク(= 10 L)採らねばならぬようだ。他の分析に必要な量を考えても、そこまで気を使う作業ではない。節水の気持ちが少しあれば、「足りない!」なんてことが起こる量ではないのだ。実際、作業は何事もなく終了した。

 しかし、ここで気づいたのだ。「2タンクも分析(この場合はろ過だった)してたら、次の測点に間に合わなくね?」である。もう一度、調査要項を確認する。この測点の採水は「1タンクでいい」と書いてある。なんだ、やっぱりそうだよな。分析が間に合う訳ないんだもの。そうだそうだ。

 ──じゃあこっちの1タンクはいらないや。

 ──ジャー、ジョロジョロ(タンクの海水を捨てる音)。

 ──ふう。

 ──え、なに? 2タンクいるって!? 書いてある!? 全部捨てちゃったよ!

 である。もう一度じっくり要項を確認すると、そこには確かに「2タンク」と書いている。さっき見たのはなんだったのだ!

 やっちまったのである。絵に描いたような浪費。完全なる無駄遣い。アルティメットミステイク!

 幸い、採水深度が浅かったため、もう一度測器を降ろしていただくことを方々にお願いして事なきを得たが、その日の夜は気が沈んでよく眠れなかった。

 普段だったら、一度採ったサンプルを、よく確認もせずに捨てるなんてことは絶対にしない。「必要かどうかわからないけど、とりあえず採っておきました」でいいのである。だが、今回は目新しい観測項目が多く、頭も身体も疲労にやられていた。

 陸上に戻り、本航海を含めた複数の調査結果を解析するのにデータをあさっていると、最近の加工データ(扱いやすいように処理したデータ)が見当たらない。データ整理を担当してくれているパートさんに尋ねると、「前に訊いたとき〇〇さん(私のことである)に『もう処理しなくていい』っていわれましたよ」と返された。──うむ、確かにそうだった。一年前の私は「自分で処理するからいい」と思っていたのだ。でも、できるところまでは素直にやってもらっておけばよかったと後悔する。

 なんでもかんでも「とりあえずやっとけ」だと保守的になって新たなものが生み出されないし、場合によっては無意味な作業だけが山積され、仕事が進まなくなる。だが、変にやり方をかえたり、これまで続けてきたことを止めたりすることは、軽い気持ちで行ってはいけない。普段と違う行動が引き金となり、自分が痛い目をみるのだ。守り(保守)と攻め(革新)のバランス。これはスポーツやゲームに限らず、何事においても難しい。今回の航海でよく学んだ。