ライ麦畑で叫ばせて

日常・数理・旅や触れた作品の留書・思考の道草 などについて書いています。

誇りを模索する生き方

 

 他人に誇れるものがない。「誇る」というと大袈裟だが、「〇〇ならその辺の奴に簡単には負けやしない」という得意や自慢が一切なにもない。

 何もできないわけではない。自分で言うのもなんだが、一般教養は人並みに身につけていると思うし、これまでの人生における課題試練もそれなりにクリアしてきたつもりだ。

 では、なんでもそつなくこなし、「普通」であることが自慢なのでは? というとそうでもない。なぜなら、私は普通ではないからだ。「普通ではない」なんていきなり異常な告白をしてしまったが、私はそこまで異常な人間でもないので安心してほしい。仮に私が飛び抜けて異常だったら、自己分析の末、真っ先にそこを自慢しているはずだからだ。なんて思考からも私は「普通ではない」ことはわかってもらえると思う。

 自己分析の結果、私には何も残らなかった。ならばお前は「無」ではないのか? と問われれば、自慢できるほど「無」でもない。

 たしかに、ときどき自らの無に気づき恐ろしくなることはある。米を米袋から米びつに移し替えるとき、「このまま傾けたら米袋から米がこぼれて米騒動になるだろうな。はじめのうちはカップで地道に移すか」と思ったが最後、気づいたら米が米袋から米びつにすべて移動していたことがある。どれくらい同じ動作を繰り返していたのだろう。人はあんなに「無」になれるのか?

 だが、こんなことにでも感心できるという時点で私は「無」ではないはずだ。あと「米」ってこんな字だったか? 見すぎてゲシュタルト崩壊してしまった。

 

かつて誇れていたものは?

 もう少し自己分析を進めよう。現在はないとしても、過去に自慢できたものはなかっただろうか。そう考えて、一つだけ思いつくものがあった。人気少年漫画『ONE PIECE』の「タイトル暗記」だ。

 この自慢には少し説明が必要だろう。まず『ONE PIECE』だ。これはご存知の方も多いと思う。読んだことのない人でもタイトルくらいは知っているだろう。体がゴムになった男が海賊となり仲間を増やして、かつての海賊王が残したお宝を目指す海洋冒険ロマンだ。

  そして、この漫画の単行本にはそれぞれタイトルがつけられている。収録された十程度の話につけられたタイトルから一つが抜粋され、それが単行本のタイトルとなるのだ(三十三巻だけ例外なのだが、まあそれはいい)。例えば、単行本の第一巻には第一話から第八話まで収録されているが、本のタイトルとしては第一話の題である『ROMANCE DAWN ──冒険の夜明け──』がつけられている、といった具合だ。

 私はこの漫画を小学生の頃に読み始め、現在も単行本が出ては購入して読んでいる。特に中高生の頃は異常なまでに読んでいた。自宅の本棚の前に突っ立って、そのまま朝から晩まで立ち読みしたこともあった。自宅なのに立ち読みだ。なぜだろう、座って読むなどおこがましいとでも思っていたのだろうか。あの頃の私は異常といわれても仕方がない。

 当然、内容はほとんど頭に入っていた。そして、単行本のタイトルも。「〇〇巻は?」と問われればタイトルと話の内容はスラスラいえた。だが、大学に入り一人暮らしを始めるときに単行本を実家の弟たちに託してから、読み返す機会がめっきり減ってしまい、したがって知識の更新はほとんどされていない。今でも六十巻代までは覚えているような気はするが。

 ちなみに、現在も私は実家を離れて暮らしているが、買った単行本は帰省するたびに実家の所定の本棚に収めている。するとすぐに弟たちが群がってくる。お前ら、別に自分で買ったっていいんだぞ?

 

ONE PIECE』に学ぶ「誇り」

 一人暮らしの始まりを境に誇れなくなった「タイトル暗記」だが、自己分析で思い出した『ONE PIECE』に、このどうしようもない論争を終結させる一つの可能性を見出した。

 この漫画には「誇り」が代名詞のキャラクターがいる。主人公のゴム男の仲間で、ひときわ鼻の長い男「ウソップ」だ。 初期の頃、彼はその誇り高さゆえに「ホコリのウソップ」と呼ばれていた。と自称していた。

 ゴム男には、現在行動をともにする仲間が八人いる。彼らにはそれぞれの夢がある。「海賊王」や「仲間との再会」といったいかにも少年漫画っぽいことをいう奴もいれば、「過去の解明」などという知的風な奴、「なんでも治せる医者」、「世界中の魚が集まる海の発見」というがむしゃらな奴もいる。

 では、ウソップの夢は何か。彼の夢は「誇り高き海の戦士」になることだ。

 誇り高き海の戦士? ホコリタカキウミノセンシ? なんだそれは。一人だけ明らかに具体性がない。それは本人が「なった」と言えば「なった」ことになるのか? 「なれ」というと「なった」ってお前は創造主か? おっと、もうよそう。私はウソップが嫌いなわけでは決してない。

 少なくとも、今のところ彼が「誇り高き海の戦士」になったという描写はない。では、夢の達成に向けて彼が今まで何をしてきたか? まず、彼は逃げた。ウソをついて、逃げた。彼は弱かった。というか、周りの奴らがバケモノすぎた。だが、これではダメだと自分を見つめ直し、彼は戦った。強くあらねばならぬ、自分を曲げてはならぬと、ゴム船長と衝突もした。そして負け、自分の弱さを認め、彼は強くなった。

 では、強ければ誇り高いのかといえばそうではない。彼が強くなれば、周りのバケモノは当然それ以上に強くなる。彼は依然として弱い。だが、それでも彼は戦う。彼なりに「弱さ」からの脱却を目指し、誇り高き海の戦士を目指して。

 明確な目標なく成長するのは大変だ。大抵の場合、東大は目指していないと合格しないし、プロ選手は夢見て努力していないとなれない。だが裏を返せば、目標にすればなれる人たちがいる。周りのバケモノが「世界」とか「王」とか言っている中で「誇りの高さ」という漠然としたものを目標にして、バケモノにしがみついているのは、実はすごいことではないか。

 よくわからん目標を掲げることは、生きづらいということである。だが、そうして人並みに生きていければ、ちょっと自慢できるのではないか? 誇れるものを探して生きるという行為が、もしかしたら誇れるものを生み出せるかもしれない。

 病床に伏して、彼の〇〇は誇らしかった。なんて会話を聞いて死ねればいいなと思う。仮に「彼は、まあ、あれだ、なんだろうな。ホコリっぽかったな」というのでも良しとする。そんな、誇りを模索する生き方、誇れるまでやっていこうと思う。