久々に青空の広がる晩夏のある午後。
今日はいい天気ですね。地上5階のビルの廊下を一緒に歩く後輩が話し掛けてきた。
そうな、最近ずっと雨だったもんな。淡々と、だが心から彼の言葉に頷く。
あのビルは何なんですかね? 廊下の一番向こう側、遠くの窓からに見える大きなビルを指して、後輩は言った。
何って、何だろうな、考えたこともなかった。毎日のように歩く廊下だ。毎日のようにそのビルも目には入っているはずだが、全く意識したことはなかった。
そのときは下に用事があったので、その窓には近づくことなく、途中でエレベーターに乗ってしまった。
それから少しして、次の日だったかそのまた次の日だったか、一人で廊下を歩いているとそのビルが目に入った。窓からはそのビルと、木の緑葉と、青い空しか見えない。
何処の、何のビルなのだろう。近づいてみるか。
同じ5階でありながら、エレベーターを挟んで向こう側の廊下を歩くことは少なく、壁に貼られた掲示や人の気配のない部屋の中や床についた傷や汚れなどを眺めながら、ゆっくりと窓に向かって歩いていく。
やがて窓を開け、冊子に肘をついて、はっとした。
ビルが見当たらないのだ。遠くではあんなに大きく見えていたのに。
厳密には、窓からは遠くの小さなビルが沢山見えていた。ただ、どれが目当てのビルなのか全くわからないのだ。
窓の外をじっと睨み付け、そのまま後ろ向きにに遠ざかっていく。
私の視界はビル群の中の一つに徐々にズームアップしていく。そして再び窓の外はビルと木、空だけになった。
このビルが、近づくとあんなに小さく、遠ざかるとあんなに大きく──。
今まで特段意識せず、ものは近づけば大きく、遠ざかれば小さく見えるものだと思っていた。
でも、窓から見える景色は違うのだ。窓から遠ざかるほど、視界は制限される分、見えるものだけが窓いっぱいに大きく見える。
窓いっぱいに見えるから、大きいと錯覚する、の方が正しいか。
本当は、近づいているのだから、窓の近くで見たビルの方が大きいに違いない。
今まで自分の中で組み立ててしまった常識みたいなものが崩されて、感心してしまった。
図らずも、だろうが、気づかせてくれた後輩に感謝したい。