ライ麦畑で叫ばせて

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"非"公式! 砂糖"未"使用・"不"使用あるいは"無"糖の使い分け

 

 先日、スーパーの手書きポップ広告に「砂糖”未”使用コーヒー」というのをみつけた。違和感を覚えて商品をとってみると、パッケージには「砂糖”不”使用」とある。うむ。それなら感覚として正しい。その隣には「”無”糖コーヒー」があった。これも頷ける。

 最近、国際シンポジウムの運営準備をしていて、普段目にするものも「これを英語で説明するなら──」と考えてしまうことがある。日本語における「否定」の微妙なニュアンスの違い……。海外の人にとったら難解なのではないか?

 中学国語の授業のような話だし、ちょっと検索すればこれら語句の違いの説明など山ほど出てくる。だが、自分の感覚と少し異なる説明があるのと(説明しているのは日本語の先生や学者の皆様なので、絶対にそちらの方が正確なのだが)、日本語で説明しづらいことは簡単な英語で考えてみると案外腑に落ちることがあるので、この機会にまとめてみたい。”非”公式の解説である。

 

・「未」

 まずは発端となた「未」から。「未使用」という言葉自体はおかしくない。だが、「砂糖未使用」の「商品」は違和感がある。「未」はそのまま訓読みで意味を考えればよくて、「まだ」という意味を付加するときに使われる。英語なら"not yet"だろうか。"I have not used sugar yet."である。

 未完成、未熟、未来。「未」には、今後その状態になりうるというニュアンスも含まれる。ちょっと古いが「大谷選手寄贈の未使用のグローブ」なんて例文はどうだろう。大谷選手はきっと使用して欲しいと思っていることだろう。「砂糖”未”使用」のコーヒーなら、後入れの砂糖が付属していれば、ギリギリ納得できる。

 

・「無」

 そして、「無糖」の「無」だ。「無使用」とは言わないな、と今更ながら思う。「無」はそのまま、「ない」、「存在しない」という意味が付加される。"There is no sugar in this coffee."である。「使用」が存在しない("There is no use.")、という表現には違和感があるはずだ。

 無冠、無灯火、無常。そういえば「無冠の帝王」とはいうが「"未"冠の帝王」とは言わない。「今後その状態になりうるというニュアンス」がそこにはない悲しみよ。

 

・「不」

 砂糖不使用のコーヒー。これは単純な否定といっていい。"I do not use sugar."である。不名誉、不可能、不運。「大谷選手寄贈の不使用のグローブ」は単純に使っていないことを言っているだけ。これからもずっと展示されたまま不使用かもしれない。

 

・「非」

 最後に「非」。「本来はなければならないものがなくなってしまい、よくない状態や不適切な状態になる場合に使う」という説明をよくみたのだが、必ずしもそうでない気もする。非番とか非凡とか。ずっと当番、あるいは凡人であるべし、とも言えない。

「非」は「範囲外」という感覚を持っている。非常、非公式、非合理。「常識の範囲で」なんて言葉をよく使うが、非常識は"out of 常識"である。

「非」と「不」の使い分けは、感覚では理解しているつもりだが、理論的に考えれば考えるほど、よくわからなくなる。たとえば、不運。運の範囲外という考え方もできないか? と思えば、「非運」という言葉もたしかにある。「使用」の範囲外で「非使用」は? と思えば、「非使用のappを取り除く」という項目がiPhoneなんかにはある。「不使用」のアプリならそもそもインストールしないはずだ。元々は使用している時期があって、今やその範囲外になってしまったという意味で、「非使用」なのではなかろうか。「不合格」なんて「非合格」でも良いのでは? と思ってしまうが、これは使わない言葉だ。「不条理」でなくて「非条理」は? こっちはあんのかい。

 

 きっちりまとめて説明してやるぜ! と思って書き始めたが、案外奥が深く、これからも折に触れて考えることになりそうだ。