ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

紳士は手足から

 

 コンプレックスとまでは言わないが、私は人より手が小さいことを昔から気にしていた。高校で野球部に入らなかった一因もこれだ。中学で使用していた「B球」の大きさが限界だった。硬式球はこれより大きくなる。送球に支障が出るに違いなかった。

 どれくらい手が小さいかといえば、男女問わず、成人で私より小さな人は、数えるほどしか出会ったことがない。まずは、母親と弟。そして彼ら親族を除けば、乗船関係で関わりのある船員の女性が一人と、たしか友人に一人くらい。恥ずかしながら、私より妻の方が手が大きい。

 それでも、この手の小ささが会話のきっかけになったり、「手の大きさ比べよう」なんて合戦に発展して盛り上がったりもするので、悪いことばかりではない。そして、自分の手を気にしている分、他人の手にも興味がいく。がっしりと手の大きな男性がいれば羨ましく思うし、艶やかで綺麗な手の女性がいればうっとりする。『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズに、女性の「手」が猟奇的に好きで、めぼしい女性を殺しては手を切って持ち歩き、イチモツをいきり立たせていた礼儀正しき変態紳士がいたが、彼の気持ちもわからなくもいや全くわからん。

 手が小さければ足も小さいのは、バランス的に当たり前なのだろうか。作業用の安全靴をグループ内で一斉購入するときに、パートさんより私の方が靴のサイズが小さくて「くぅう!」と睨まれたことがある。

 こちらは「手」が小さいほど目立つ特徴ではないのだが、やはりどこかで気にしているのかもしれない。小さい足を恥じて隠すためなのか、あるいは大事に保護するためなのか、私はやたらと新しい靴を買う傾向にある。友人と会うたびに違う靴を履いているものだから、その友人には敬意と降伏の混じった失笑をよくもらう。ちなみに、ある時、友人にあったとき「お前は靴を替えてくるから、おれも」と散髪してきたときは笑った。

「おしゃれは足元から」なんて言葉をよく耳にする。友人の言動にも、少なからずこの思考がある。私は、根本的には、なにもおしゃれをしたくて靴を買っているわけではない。高い靴は買わない。ほとんどアウトレット商品にしか手を出さず、滑らないとか濡れないとか利便性重視で、安い靴をこまめにローテーションしている。だが、「おしゃれは足元から」が呪いのように付きまとっていることは否定しない。いやむしろ、これを根拠に靴を買いまくっていると言えるかもしれない。「おしゃれのためだから」と言い訳にして。

 ところで、果たして本当に「おしゃれは足元から」なのだろうか。足元がおしゃれな人は、そもそも身体全体がおしゃれなのではないか。足元というのは、足首より上が一通りおしゃれな人が、暇を持て余した末に辿り着いた最後の遊技場なのではないか。

 試しに考えてみてほしい。服がボロボロで靴だけおしゃれなオッサンがいたら、「怪しい男だ」、「あいつ、何処かから靴盗んできたんじゃないか」と通報されかねないように思う。だが反対に、服がおしゃれで靴がボロボロのオッサンは、「ヴィンテージを着こなしている」、「上級者らしくコーデを外してきている」、「あえての抜け感」などと褒め称えられる可能性がある。見事、オッサンから紳士に昇格だ。ところで、そもそも外すってなんだ。おしゃれは脱着可能なのか? 抜け感とは。奥歯でもグラグラしてんのか。抜けて生え変わりそうな感じ? ペンチで抜いてやろうか? あぁ、おいコラ!

 少々取り乱したが、もう一つ極端な例を挙げよう。服がきれいで裸足の紳士は、「新手の健康法だ」、「ハリウッド女優もやってたやつじゃない?」などと話題になりそうだが、一方の真っ裸で靴だけ履いている紳士は変態以外の何者でもない。そもそも紳士ですらない。今すぐ安全な距離を確保して通報すべきだ。

 以上、数学的帰納法により(なんのこっちゃ)、「おしゃれは足元から」ではなくて服が大事だし、私はおしゃれのために靴を大量購入しているのではなく、なんかまあ、単純に靴が好きなんだろう。その根幹には手と足が小さいという引け目があるのかもしれないが、とにかく私は靴を愛する紳士なので、初売りで靴を二足買った。妻も二足買っていたので文句を言われる筋合いはない。靴が四足入った大袋を抱えた帰り道は、なんだか興奮してしまって、フフ、危うく変態紳士になるところでした。

 

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