ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

花火の終わり

 

 故郷で毎年8月上旬に開催される花火大会が、今年は荒天で延期になった。代替日は約1ヶ月後の9月上旬だった。

 当初の日程は乗船出張の直前であり、調査の準備などで忙しかったことと、感染対策でなるべく外出を避ける必要があったこととで、帰省を兼ねた観覧を諦めていた。しかし、開催が延期されたことで、代替日は下船直後の休暇のタイミングとなり、一泊二日の弾丸ツアーではあったものの、晴れて何年かぶりの花火観覧が実現した。

 花火観覧といっても、我が家では打ち上げ場所に行くことはしない。自宅にあるささやかな屋上から、夕飯を食べながらゆったりと眺めるのだ。

 代替日も天候が怪しく、夕方には一時小雨を浴びながらも、せっせと屋上での花火観覧兼ビアガーデンの準備を進めた。結局、浮き立って準備開始が早すぎた。馬鹿話をしつつ酒を飲み、天候の心配をしつつ焼肉を食いながら、花火の開始を2時間待った。

 途中、父の再就職先の話になった。いやあ、俺もう仕事辞めたいなと思って。父が珍しくそんな弱音を吐いた。定年退職後の転職だ。覚えることが多かったり、年下の上司にこき使われるのが嫌だったりするのだろうと考えを巡らせながら聞いていたが、全然違った。

「自分の存在意義がわからなくなった」

 父はそう言った。営業職として採用されたものの、コロナ禍で訪問や勧誘は自粛のままで、結局荷物運びや整理などの雑務だけをひたすらこなす日々だというのだ。これまでも、扱う商品は違えど、人との対話で仕事をしてきた父だ。この状況は、私が思う以上に辛いのだろうと思う。

「俺、仕事辞めようかな」

 母に相談したことがあったそうだ。そして、その相談をきっかけに、現在でも仕事を辞めずに済んでいるのだといった。母はどんな励ましの言葉をかけたのかと、期待に胸を膨らませながら話を聞いていたが、かけた言葉は至極単純で、「やめたら?」だった。父はこの言葉に、「こんちくしょう、辞めてたまるか!」と思ったらしい。二人のやりとりが目に浮かんで、笑えた。

 そうこうしているうちに、ようやくメインイベントの花火が始まった。その頃には空を覆っていた雲がはれ、微風が花火の煙を滞留させないベストなコンディションになっていた。私自身も久々に見る花火。子にとっては人生初の花火。

 花火を見たいとかお祭りに参加したいとか、そういうことのために人混みに入るのを避けてきた私の人生は、ずっと季節を味わうことに疎かった。例えば、花見、夏祭り、紅葉、雪まつり。どれも本当に楽しめるようになったのは、最近になってからだ。妻や、友人や、子のお陰で、他人より遅いながらも、少しずつ私という人間が変わりつつかることを感じる。

 始まってしまうと、時間が経つのはあっという間だ。もう花火の終了時刻が近づいてきた。片付けを始めながら、「花火は何で終わるか」と議論になった。「決まっている。スターマインだろう」と父はいった。「いや、ドンと一発、枝垂れる大きなやつだ」と私は対抗した。

 結局はどちらも正解で、締めのスターマインの終わりに、私のいったような大きなのが数発上がって終わったらしい。らしいというのは、片付けに夢中になった私たちは、終わりを見逃してしまったためだ。子を抱きながら、妻は最後までしっかりとみていたと思う。腕の中の子の目には、その花火がどう映ったわからない。

 花火の終わりは見逃したが、機会に恵まれて、夏という季節の終わりを、今年はしみじみと感じることができた。