祖母の家は真赤な実に囲まれていた。
祖母はそれをヘビイチゴと呼んでいた。幼い頃はなんとも思わなかったが、今思えばなんとも毒々しい名である。
わずか1センチほどのその実を、祖母は丁寧に摘み取っていた。何とは無しに、私もよくそれを手伝った。
採った実をどうすかといえば、軽く洗って焼酎に漬けるのである。実の赤色がすっかり落ち、焼酎が黒茶色になれば、飲んでよし、塗ってよしの万能薬の完成だ。
父は晩酌の前にこれを必ず飲んでいた。効果の程は不明だが、昔の人の知恵は正しいことが案外多いから、きっと効くのだろうと思う。
私は虫刺されによく塗ってもらっていた。市販薬のようにスーッともしなければ、痒みが紛れるわけでもない。だが、気づけば腫れはひいている。
祖母と公園に行き、滑り台で遊んでいたときのことだ。
台は黄色、階段が青、頂上のゲートは赤だったと思う。その滑り台を滑り降りて、立ちあがろうと黄色の縁に手を着くと、そこに蜂がいた。
蜂からすれば、羽を休めていたときに、急に命を脅かされたに等しい。当然ながら、私はその蜂にさされた。左手首の、よく脈をとる親指の付け根あたりだったと思う。幼い私は大泣きしたはずだ。
祖母は仰天して私を家に連れ帰り、刺された箇所を認め、そこにヘビイチゴを塗った。「何にでも効くんだから、大丈夫だ」祖母のその言葉は、私をいつも妙に安心させた。
今になってこんな昔の話を思い出したのは、ある夢をみたからだった。
その日は、何日も続いた猛暑が、雨の気配と入れ違いにすっかり息を潜めていた。通勤の電車内も、人の多いのには違いないが、心なしか穏やかだ。
乗り込んですぐ、運良く座席を確保できた私の眼前は、すぐに立ち乗りの人の壁に遮られた。いつものように文庫本を取り出し、空想の世界に没頭することにする。
この時間、会社までの各駅では、まばらに人が降りるばかりで、乗車客はほとんどない。したがって、会社に近づくにつれ、私の視界は開けていく一方ということになる。
前に立つ男が降り、車窓から外の様子が窺えるようになる。空は相変わらず曇天だが、まだ雨は降り出していないようだ。
扉の近くに、女が一人で立っていた。短く切り揃えられた黒髪に、色白の肌。ジーンズに、シンプルなTシャツ。
立っていた、というよりも、吊り革に身を預けていた、というほうが正しかった。彼女は、あまりにも電車の揺れに無防備だった。揺れるたびに吊り革と地面を支点に体をくねらせるばかりで、体幹でもって踏ん張ることを放棄している。
電車が右にカーブしたときだ。彼女はよろめきながら、吊り革につかまることすら放棄して、私の眼前にほとんど飛ばされてやってきた。
「おはよう」と彼女はいった。「今日は涼しいよね」
私は返事をしない。夢とは得てして一方的なものである。
「ほら、押し入れをみてみなよ。ヘビイチゴはそこにあるでしょ」
女は、祖母が焼酎漬けの瓶を押し入れに保管していたことを知っているのだ。だが、そこにもう瓶はない。祖母は数年前に死んでしまったし、そもそも、家の周りはもっと前に舗装されてヘビイチゴ自体が消失していた。
「探してないの? 嘘ばっかり」
探していないよ。私は虫に刺されていないし、肝臓もいまのところ丈夫だから。
女は最早、私への興味などすっかり失ったとみえ、冷たい目で私を一瞥すると、左右に首を振って周りを観察した。そして、停車中で揺れのない車内を、なおもおぼつかない足取りで、隣の車両へと移動していった。
──このすぐ後に、私は息子にうつされて「手足口病」を患うことになる。ヘビイチゴは、この病にも効いたに違いない。