ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

くせのはなし

 

 人には必ず一つや二つは癖というものがあって、それらはあまりにも自分の言動に溶け込んでいるため、往々にして自分自身では気づかないものである。言い換えれば、癖は他人に指摘されて初めて気づくことがほとんどだ。しかし、普段ひとりになることが多い空間での言動は、それを見聞きする人間がいないから、そもそも指摘してくれる人がいない。

 例えば、風呂。他人に風呂での行動を見せる機会はほとんどないだろう。それはそのまま、他人の風呂での行動を見る場面は滅多にないと立場を変えることができる。だから、宿泊施設の大浴場などに入ることがあると、稀に他人の癖に思い当たる。とはいっても、風呂場であまりまじまじと他人をみることはできないし、そもそも眼鏡生活の私は、裸眼になる風呂では誰が誰だか見当もつかないことがほとんどだ。

 そんな前提が覆る場面を、私はよく経験する。船上の風呂だ。観測班が同じである人は、生活リズムがほとんど同じになるから、風呂場で出くわすことが多い。何度か会えば極端な近視で顔が見えなくてもさすがに誰だか識別できる。ある航海で一緒になることが多かった彼は、皆が省スペースに気を使って座って身体を洗っているところを、常に仁王立ちで、シャワーの水をやたらと後方へ飛ばす癖があった(癖か?)。ほとんど自分の身体に当たっていないんじゃないか?

 他にも、洗髪の最後に左後方に必ず首を振って水を飛ばす人、とにかく恐ろしい泡立ちの人、洗顔フォームを必ず忘れていく人など、面白いことに、結構ラベリングが可能だ。他人に指摘されることがなかったので、私も自分自身で癖を探してみた。髪を流すときも身体を流すときも、私はやたらと、左手で右脇をちょんと触る、かもしれない。

 私は「髪(シャンプ→コンディショナー)→顔→身体」の順に洗うことにしているが、考え事などをしていると、しばしばどこまで洗ったか忘れてしまう。最初のシャンプーと最後の身体を忘れることはないが、コンディショナーと洗顔がとても曖昧だ。例えば、コンディショナーを忘れたり、洗顔を2回していることなんかよくあると思う(癖か?)。

 そういえば、先日選挙に行ったとき、受付の女性が美人で驚いた。初対面の、しかも美しい人なんて直視できない。これも癖か。投票率を上げるために選挙ガールなんて人たちは存在しないのだろうか。投票したら握手できます! みたいな。ないか。何か法令に引っかかりそうだ。

 保育園に通う10ヶ月の息子は、これはもはや癖というより体質なのだが、肌の病気にかかりがちである。7月に入ってプール遊びの時間ができたのだが、参加のためには細かなチェック項目がある。それら全てをクリアし、朝チェックシートに「可」と記入しないとプールで遊べない。肌の状態が良くなり、やっと「可」が書けて、今日はプールで遊んでくるだろうと安堵していたら、「シートに押印がなかったから遊ばせられなかった」と言われて帰ってきた。驚きだ。シャチハタのハンコにそんな効力が!? もう忘れないように、シートの印鑑スペース全部に一気に押印しちゃおうと提案すると、妻に軽蔑の眼差しを向けられた。良くも悪くも、押印なんてその程度のものだと思うのだが。おっと、私の異常性という癖がバレる。

 

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