文章で長々と書かれると読むのに時間と労力を費やさねばならぬという方もいると思って、今回はちょっとコーヒーブレイク。これまでの内容のうち、特に俳句1「五七五のリズム」、俳句2「季語」、俳句3「切れ」に関連した内容を資料にまとめたことがあったので、その一部を掲載したい。
資料は画像として貼り付ける。例句は前の記事と異なるものもあるので、気軽に楽しんでいただければ幸いである。説明のため、上五・中七・下五と切って載せている。
資料の下には、説明や感想などを加えることにする。あまり書くと普段と結局変わらなくなってしまうので、私も極力ブレイクとしたい(サボりじゃないよ!)。
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初めて手にした俳句に関する本だ。なお、資料したの補足説明はこの本の内容に限らない。
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「挨拶をするように俳句が浮かぶようになればなあ」と思っていたが、それは、英語など他言語を学ぶときと同様に、遅くとも十代とか二十代前半とか、若い頃から回路を作っておくことが重要なのだそうだ。もう遅かった。
だが、ネイティブが必ずしも綺麗で正しい言葉を話さないように、よく考えて俳句を生み出す人(有名な俳人にもこういった「ネイティブでない人」もいるようだ)にはその人なりの良さがあるらしい。
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まずは「五七五のリズム」について。字余りの使い方が素人には難しく感じる。句集などを鑑賞してみる目を養うしかないのだと思う。
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(村上鬼城)
「季語」について。こちらも「季語が動く」というのはわかるようで難しい。自分の中では絶対性があるつもりなのだが、しばしば不安になる。
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(左:高屋窓秋 、右:石田郷子)
「かな」や「けり」はほとんどの場合、文末で使われる。これが「切れ」なので、これより前は続きになっていなければならない。ときどき、切れ切れの句を見かける(作りかける)ことがあるので、注意したい。
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
などが切れ字を二つ使って成功しているのは例外的だろう。
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実際に詠むときや鑑賞するときには比喩だの擬人法だの特別意識しないとことが多いが、意識して振り返ると、
向日葵の大声で立つ枯れて尚 秋元不死男
なんかも最近みた中では擬人法が使われていて、好きなものだ。