ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

麺をすするとき、幸福と不幸がいつも背中合わせでいる

 

 1999年12月31日、私は自宅で一家団欒を楽しんでいた。

 片付けないままのクリスマスツリーの電飾を灯し、『ゆく年くる年』で除夜の鐘を聞く。そんな不釣り合いなどお構いなしに、小学生の私と幼稚園児の弟たちはこれまでとは少し違った年越しに心躍らせていた。

 騒ぐのが常な父は言うまでもなく、いつも冷めたふうの母も、この日ばかりは些か興奮しているようだった。

「十、九、──」

 父親がカウントダウンを始めた。

「真っ暗になるかもよ」母が弟たちを脅かす。その喧騒に紛れ、私は静かに照明のスイッチへと近づく。

「六、五、──」スイッチに手を触れてみる。この季節は部屋の角というだけでずっと寒く感じた。もし、暖房もなにもかもが本当に止まってしまったら──。なにか起これ。でも、なにも起こるな。期待と不安が入り混じった、矛盾した感情が急速に大きくなっていった。

 

 201X年某日、酒を飲めるようになった私と友人は、居酒屋を何軒かはしごした後、ラーメン屋に寄った。ラーメンを二杯と、もう何杯目かわからないビールを注文し終えると、二人はほとんど同時に水を口に含んだ。

「うんめえなー」二人しておやじのような声を上げた。「世界で一番美味い飲み物はこれだ」ただの水道水であろう透明な液体を崇めるように持ち上げて、さらに続ける。「幸せはここにあったか」と。

 飲んだ後のラーメン屋には水を飲むために来ているんだ。酔っぱらった我々はそんな失礼なことを大声で語りながら、あっさりとした醤油味のラーメンをすすった。

 

 2014年12月31日、私は下宿先のアパートでノートPCを睨みつけていた。重要な論文に専念せざるを得ず、この年の帰省は諦めていた。

 日付が変わる間際、おもむろに湯を沸かしに立ち上がる。コンビニで買った弁当の空もそのままに、カップうどんに湯を注いだ。たまには年越しうどんも良いだろう。

 少し先の未来に対する不安だけを胸に、私は縮れた薄っぺらい麺をすすった。

 

 201X年某日、父の車は私と弟二人を乗せ、ラーメン屋へと向かっていた。

 店への到着と同時に、私は便所へと駆けた。気持ちが悪かった。二日酔いだ。

 父ばかりでなく、弟二人も酒に強いのには驚いた。私も弱い方ではないが、二人に負けじと飲みすぎたのがいけなかった。

 二人とも、大盛りラーメンなど頼みおって。私は吐きそうなのを必死にこらえて、味わうことなど到底できないラーメンをすすった。

 

 201X年某日、我が家に遊びに来た友人に、妻がうどんを振る舞った。

 振る舞うといってもうどんを茹でてつゆをかけただけなのだが、私と友人は何度も美味いといってそれを食べた。

 うどん屋を開いた方がいい。友人はいかにも大袈裟にいったが、妻の料理が総じて美味いのは事実だった。

 妻の料理を褒められると、どうしてか私も嬉しくなるのだった。友人の絶賛ににやつきなががら、私はコシの強いうどんをすすった。

 

 2020年某日、友人たちと会った帰り道、私は一人で近所のラーメン屋に入った。注文したのはまぜそばとビール。私の他に中年男性が四人いた。全員がビールを飲みつつ食事している。

 その日友人が語ったこの上なく幸福な日常に思いを巡らせながら、私は幸せのかたちについて考えていた。

 ビールを飲み込む。苦い。ラーメン屋で飲むビールというのはこんな味だったろうか。

 その瞬間、店の誰もが麺だけを見つめていた。隣にあるビールに目を向ける者はない。ビールは一寸手にとって、ただ飲み込むだけのものである。まるでそれが、最も不幸な飲み物であるかのように。

 必要以上に混ぜられて複雑に絡み合った麺。いつもより重く感じるそのまぜそばを、私は少し大きな音を立ててすすった。

 

 世紀末、人類滅亡の予言というのは嘘っぽかったが、コンピュータが西暦を誤認することでインフラの停止や乱れが起こるのでは? という噂はそれよりずっと真実味があった。

「三、二、一、ゼロ──!」

 私は照明のスイッチをオフにした。部屋の照明は消えたが、テレビとクリスマスツリーは煌々としたままで、戦慄の瞬間とは程遠かった。「あれ、暗くなった」我々の興奮の意味を理解していないらしい祖母が、暗転を素直に不思議がっている。

「なんだ、なんも起こらなかったな」家族は口々にそう言った。

「冗談で何分か停電させてくれたら面白かったのに」

 数日前の父が言った台詞を、私はそのまま復唱した。だが、自らの発言をすっかり忘れたらしい父は「そんなことしたら大混乱だ。できるわけないだろ」と強い口調でいった。私は少し落ち込んだ。しかし、そんなことはお構いなしで、父はもう何本目かわからないビールを開け、蕎麦を口にした。

 我が家では年を越してから蕎麦を食べる。年に一度、このために母は鶏がらからきちんと出汁をとる。その味が毎年の楽しみなのだ。本当に訪れたかもしれない混沌を案じた直後にも、私はその蕎麦を美味いと言ってすすった。