ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

信じる心ってなんですか?

 

 数ヶ月前から愛でていた金魚草という花が、数日前に二、三咲いた。

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一度は全部枯れてしまって、開花の時期もとっくに過ぎていたのだが、日なたを見つけては運び、剪定もこまめにやって世話を続けていたら、立派に咲いてくれた。一縷の望みを抱きつつ、愛し続けてよかった。

 だが、咲いた花を見て思う。この金魚草は、私の少しの期待なんかよりもずっと強く、自分自身の開花を信じて疑わなかったに違いない。

「”疑わない事”それが”強さ”だ」と海賊王の右腕シルバーズ・レイリーは言った(『ONE PIECE』)。少しでも疑いが生じれば、それを引き金として、人は迷い、自分の弱さに負け、戦いに敗れる。

 スポーツでも何でもそうだ。井の中の蛙というパターンもままあろうが、俺は強い、自分達が勝つ、そう信じて疑わないものは概して強い。体力はもうとっくに限界で、意識が朦朧としていても、味方を赤んぼのように信頼しきればスリーポイントだって入れられる(三井寿SLAM DUNK』)。

 

 もう四、五年も前になるが、恩師から聞いた言葉がいまだに記憶に残っている。

 若手の研究者は、知識や経験では年長者にはかなわない。だが、それで萎縮する必要は全くない。持てる知識経験の中で考えて、発言し、行動すれば良い。知識や経験がないことがむしろ強みなのだ。増えてしまった知識経験は、どうしても思考の幅を狭くしてしまう。得られた結果からセオリーを考えようとしたしたときに、知識経験が邪魔になる。そんなことは起こり得ない。あまりに突飛なストーリーだ。そういった疑いが生じる。そこで年長者は考えるのをやめる。

これは決して簡単なことではない。下手な発言をすると「おかしなことを言うな」と馬鹿にされることもあるだろう。だが、無知と経験の浅さが、むしろ疑わない強さを後押しするという考えは理解できる。

 紫外線を吸収してくれる「オゾン層」。フロン等によるオゾン層の破壊という事実は今でこそ有名だが、観測された当初は誰もが疑う結果だったと聞いたことがある。

 当時、度々観測されていた低オゾン濃度の値は、「オゾン層は変わらない」という当時の常識に基づき、観測ミス、すなわち誤ったデータとして除去されていた。

 その”誤データ”が、クーラーや冷蔵庫の冷媒等に使用されていた「フロン」という気体が大気にどう広がっていくか? という疑問からはじまった、オゾン層とは全く別視点の研究をきっかけとして、一躍オゾン層破壊の証拠となった。

 オゾン層がフロンに破壊される。これは当時この分野に詳しかった人には考えつかないセオリーだったのだろう。事実、オゾン層に対するフロンの有害性が発表されてからも、しばらくはその理論に懐疑的な声が多かったという。

 

 ランプの魔人ジーニーの力で王子に扮したアラジンは、空飛ぶ魔法の絨毯に乗ってヒロイン・ジャスミンの前に登場すると、手を差し伸べて「僕を信じろ」という。ジャスミンは「いいわ」といって魔法の絨毯に乗り、夜の空中デートを楽しむ(『アラジン』)。

 このとき、二人はほとんど初対面だ。正直、そんな奴に「信じろ」といわれて二つ返事で了承するのもどうかと思う。しかも相手は絨毯で空を飛んでいる男だ。疑う余地しかない。おっと、今は心を鬼にしてこんなことを言っているが、私はディズニー作品の中で『アラジン』が一番好きである。これだけは主張しておきたい。

 私は絶対に騙されない! と思っている人ほど詐欺に引っかかりやすいと聞いたことがある。相手は疑う人を騙すのが生業の人たちだ。疑ってかかる人ほど、何か魔法の力でコロッとやられてしまうらしい。

 一方、一度は信じて話を聞く人ほど、最終的には論理の破綻や滲み出る怪しさに本能的に気付き、案外ひっかかりにくいのだそうだ。アラジンは王国を救う良い男だった。結果的にジャスミンの判断は間違っていなかった訳である。

 

 ここで、最後まで読んでくださった皆様に問いたい。信じる心ってなんですか?

 私の答えは「知るか!!!(ナミ『ONE PIECE』)」だ。これくらいで良いのだと思う。

 自分や家族、友人の健康が心配な近頃、数ヶ月前にいただいてきた疫神札に皆の無事を祈る毎日である。それだけなのだが、何故か大丈夫な気がしてくる。

 あれこれ考えたって仕方がないのだ。信じる者は救われる。これこそが信仰の根源であるし、もっといえば人間という生物の一定義でもあるのだから。