ライ麦畑で叫ばせて

日常・数理・旅や触れた作品の留書・思考の道草 などについて書いています。

「お決まり」について

 

 まず、頭を一発撃つ。よろめいたところを蹴り飛ばし、倒れたところをナイフで切りつける。これで終わりである。おっと、安心してほしい。現実の話ではない。ゲームの世界の戦い方の話である。まあ現実でも、お前なんかマグナムで一発だからな? と心の中で銃をぶっぱなすことはあるが。

 私の弟たちは縛りプレイを好む。そこまで行動を制限されて一体なにが楽しいんだ? と恐怖することもしばしばだ。おっと、これも性癖の話ではない。ゲームの遊び方のことである。彼らは、ゲーム自体にはない制限を設けてクリアを目指すことに快感を覚えるのである。強い武器でも倒すのが難しい敵にナイフ一本で挑み、いくらあっても足りない回復アイテムを片っ端から売りさばく。どうであれ、彼らがドMであることに違いはない。

 かく言う私も、友人にしてみればなかなかの縛りプレイヤーらしい。言われてみれば、私もわりとキツめに縛る。弱い敵には弱い武器を使わなければならない。武器はおろか、体術で倒さなければならない。すべてのタスクをクリアするまで延々と同じステージをプレイしなければならない。少し違うが、気に入ったアニメや漫画は、流れやセリフが頭に入るまで、何度でも見返さなければならない。

 人はなぜ縛るのか。それは、不自由の中に快感を見出すからだ。不自由の中でもがき苦しんで、そのしがらみを破ったとき、人は勝ち取った自由に心を震わせる。人が自由の答えを求める限り、縛りは決して止まらない。おっと、ゴール・D・ロジャーみたいなことを言ってしまった。あぶねえ。

 ふと思い出したのは、子供の頃にテレビで見た「一ヶ月一万円生活」という企画だ。その名の通り、一ヶ月を一万円で生活することをベースに、最終的な残金の多さを競う番組であった。いつも参戦する「よゐこ」の濱口氏は、相棒の「しゃくれ」というニワトリが卵を産むのに期待して、いい値段のするエサを毎回必ず購入する。

 しゃくれを手放せばエサ代が削れて、濱口が絶対勝つのに──! かつての私は歯痒さを感じたものだ。だが、当時はまだ尻が青かった。しゃくれのエサ代というハンデを背負うからこそ、男は燃えるのだ。縛りがあってなお善戦するからこそ、視聴者は彼を応援するのだ。

 先日、偉大なコメディアンが亡くなった。私は彼の全てのうちの、おそらくほんの少ししか知らないのだが、定番のボケ、定番のオチ、というものはなんとなく知っているつもりである。嫌いな人たちがいるのもわかるが、私はそういった類の笑いがかなり好きである。次もコーンフレークというのがわかっているのに笑うし、いつかそんなバハマがくるのを期待しているし、三のつく数字でバカになられたら腹がよじれてしまう。

 強弱はあれど、人にはこだわりというのがあるものだ。自分の中の「お決まり」に人は敏感に反応し、無上の喜びを覚え、そして笑う。だから私たちはハンドガンひとつで強大な敵に挑み、海賊たちは海に出て、大泥棒・ガンマン・侍の三人は財宝を盗み、男はニワトリを相棒にし、人々は同じ言葉で何度も笑う。