ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

感想4『猛スピードで母は』・『魚籃観音記』

 

 一言読書感想集も第四弾となった。「一記事につき三〜五冊ずつ紹介できればいいかな」という考えで始めたが、分量的に「一記事二冊」が妥当かもしれない。一冊一冊の感想が充実してきたためだ。

 一言というわりに長すぎるのでは? と思い、その適切な分量を考えてみた。「今のお気持ちを一言」とインタビューされたスポーツ選手が十分も十五分も話したらちょっと引く。五分でも長い。「最高です!」がそれらしい一言だが、三十秒くらいは喋ってもいいか。披露宴、余興のクイズ大会で優勝! 「一言お願いします」と言われたら、自己紹介と新郎新婦との間柄、祝福と感謝の言葉くらいは述べるだろう。せいぜい一、二分。

 一方で、事前に準備した一言となるとまたちょっと違う。「明日の宴会で一言しゃべってもらうよ」といわれていたら、三分くらいは話してもいいか。すると、あらかじめ文章にして読んでもらうのだから、この感想も一冊につき千字くらいは許してもらえるかもしれない。少なめであるという漠然とした量を「一言」というのだと理解したい。

 さて、パート4はじまりです。

 

* ネタバレにご注意ください!

 

10. 長嶋有『猛スピードで母は』(文春文庫)

再読したい度:☆☆☆★★

 学生時代に一度読んだものを引っ張り出してきた再読シリーズ。表題作と「サイドカーに犬」の二編を収録している。感想を書き終わって気づいたが、表題作は第126回芥川賞受賞作品だった。

 二編に共通しているのは、登場する女性のしたたかさだ。喧嘩が強いとか、腕っぷしが強いとかいうのではない。彼女たちには自分(あるいは、理想のそれに対するビジョン)があり、一方で諦めがあり、そしてそれら両極の意志感情に裏付けされた説得力がある。彼女たちは自由にみえる。本当は自由ではないのだが、抗いもがきながら、頑なにそうあろうとする。そこに彼女たちの格好良さがある。

 この物語に格好良い男性は登場しない。男たちはみな奔放で、だらしなく、全てがその場しのぎのように感じられる。女性たちの諦めの正体は何かといえば、男という生き物に対してのそれだろう。調子がよくて格好つけの男などとは違うのだと、女性たちは強く生きようとする。この対比が、女性たちの格好良さをより際立たせている。

 だが、先に言ったように、彼女たちは本当のところ自由ではない。勝手気ままな男になど振り回されまいとしながら、彼らの気任せな生き方にどこか憧れを感じ、実はその偶像にすがっている。気丈に振る舞う彼女たちにそんな弱さを見たとき、私はこの物語の深みを知って感服する。そして別れることや姿を消すことによって自分を取り戻す彼女たちに、孤独や哀愁といったような、また異なる類の格好良さを感じる。

 ともするとこの話は大人びた、いささか重苦しいものになってしまいそうだが、案ずるには及ばず、すらすらと軽快に読むことができる。むしろ懐かしさやほのぼのとした印象を受けさえする。それはきっと、二つの物語が少年少女を語り手として進んでいくからだ。男とも女ともなりきらない子供の視点だからこそ、出来事感情が汚れなく純粋に描写表現され、ひっかかりなく温かい気持ちで読み進めることができるのだと思う。

 

11. 筒井康隆魚籃観音記』(新潮文庫

再読したい度:☆☆★★★

「SF御三家」の一人である筒井康隆の短編集(十編収録)。友人に勧められて読んだ『旅のラゴス』を皮切りに『富豪刑事』、『時をかける少女』と読んできたが、本作はそれらとはまた違った印象のものもあった。

 まず巻頭にある表題作。正直おったまげた。罰当たりなポルノ小説なんじゃないかこれ? 観音様と孫悟空の濡れ場がただただ極上の表現力によって描かれる奇作。こんなのがあと九編続いたら通勤電車の中で読むのは気がひけるぞ。

 だが、次の『市街戦』を読んで一安心。これは官能的ではなかった。戦争の最中にドラマの撮影を続けるというシニカルなユーモアが良い話。知人の書く小説に自分を見出した男が現実と非現実とを交錯させていく『作中の死』、小説に登場することによって生きる女を描いた『虚に棲むひと』あたりが同様のテイストか。馬が可愛い女性に見えてしまう『馬』なんかはスラップスティックといわれるようなドタバタ劇により寄っている。

分裂病による建築の諸相』は、狂人を批判する語り手が実は狂っているという奇妙なお話。全くもって狂人の妄想であるあたり、ナンセンス文学といえるか。

 巨大ネズミが生存のために人間や同族と戦い抜く『ラトラス』はまさにファンタジー作品。「こういう世界だ」という明示なしにいつのまにか納得させられているあたりは気持ちが良い。野良犬たちが音楽を奏でる『ジャズ犬たち』もこの類と言っていいだろう。物語の中で動物の殺処分を風刺するあたりも巧みだ。

『建物の横の路地には』は、建物の横の路地に入るといいことあるかもよ! というファンタジーめいた優しいお話。そして巻末の『谷間の豪族』は、階段にして数千段の谷底に住む一族の暮らしと秘密の仕掛けを描いた作品。こちらも少々皮肉のきいた、ファンタジーめいた物語だった。

 これで一応十編全てに触れたことになる。著者について調べてみると、スラップスティックやエロス、ナンセンスこそ筒井康隆という意見が多い。私は彼の文学的ファンタジー作品から読み始めたためか『谷間の豪族』や『ジャズ犬たち』あたりが好みだった。とにもかくにも、これほど多彩な作風で味わい深い文を完成させてしまうあたり、敬服の外はない。