ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

自覚の恩恵

 

 出しなに掛ける言葉の典型に「気をつけていってらっしゃい」というのがある。一見定型文のように思われるこの言葉だが、実はこれには確かに効果があると耳にしたことがある。実際に注意力が増し、道中での危険回避率が上がるというのだ。

 潜在意識に対して威力を発揮しているのであろうこの言葉だが、「効果がある」という事実を聞いてからというもの、私は「気をつけて」の一声を鍵にして無意識でなく意識的に気をつけるようになった。

 

 さて、私は現在、海を物理的に理解するという職務に就いている。現場の水温や流れを理解するために、船舶でしばらくの間外洋に出て調査することもしばしばある。

 つい先日も二週間程の航海に出ていたのだが、観測の合間、青黒く澄んだ海をぼんやりと眺めながら、ふと考えたことがある。この景色は、音は、風は、香りは、果たして一般的なのだろうか? どちらかといえば、特殊な感覚の体験なのではないか?

 例えば、抜けるように晴れ渡った空と静かに凪いだ海のあいだを、イルカたちと並走すること。そのときに肌を走る潮風と時折あがる水飛沫の心地よさ。一寸姿をみせただけのイルカをずっと目前の海にみる想像力。

 例えば、穏やかな風に揺れる下弦の月。真暗な海を存外明るくはっきりと照らすその光。そして偶然的に立つ波々が、それに常時照らされることで可視化される船の揺れ。不規則に光の下を通る波が描く、不思議なほどに規則的な正弦波。

 例えば、観測中の光に集まるアジやイカ、そしてウミガメ。ひょっこりと顔を出しただけで、跡形もなく闇に消えるウミガメの大きさと存在感。プランクトンを採取するための小さな網に捕まる間抜けなアジと、それに付けられた束の間の名前。

 

 船上の日常が非日常であることにふと気づき、私はこの体験を誰かに伝えようと考えた。友人や家族に語って聞かせてやるべきだと思った。此処で自由に書いてやって、下手くそなりに表現しなければならないと思った。

 するとその刹那から、この環境で起こるすべての出来事を正しく咀嚼して、消化して、再構築して表現できるほどに良く記憶しなければならないと考えるようになった。この思考は船上で起こるすべての事象を特別のこととして、日常だけでなく業務をも豊かにしていった。

 

 意味や効果、立場、状況等等、それらを自覚することは、通常以上の威力を引き出したり、新たな思想考察を展開したりする。他人の無自覚な図々しさに辟易とするとき、私は同時に自分の無自覚をこの上なく懼れるが、そういった無自覚の腕っぷしの強さや恐ろしさの対価たる自覚の恩恵を自覚するということを、我々はあまりしない。