ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

扇動の聖女

 

よく働いた5日間、その中のある12分間のお話である。

 

年に2度開催される我々コミュニティの大きな会合が、今年の秋は12年ぶりに私の住む都市で行われた。

そして我々は、この会合を運営する立場となった。

私なんかは下っ端なので、荷物を運んで会場設営をして、それから発表時間を延々と計り続けて、質問の手の挙がる方へとマイクを持って奔走して、というような精神と肉体をほんのわずかずつ削る仕事しかしなかったが。

 

さて、準備運営とも順調に進み、日程は最終日、私よりも一つ年下のある後輩の発表が始まろうとしていた。

年に2度の大きな催しだ。北は北海道から南は沖縄まで、全国各地から関係者が集結する。演台に立つ彼女も例外ではなく、遠路はるばる北海道からこの地にやってきてくれた。

 

彼女の発表が始まった。

その刹那、会場の空気が変わる。

マイク運びとして会場の隅に腰かける私は、これまで何度か味わったことのある雰囲気であった。

連日の発表と懇親会で疲れが溜まった最終日の午後、睡魔が見え隠れする中での発表である訳だが、聴衆たちは皆、引き込まれるように彼女の発表を聴いている。

 

チーン、チーン。発表終了の時間を告げる第2鈴。そこで会場の皆が気付く。あ、タイムキーパー、終了2分前の第1鈴を忘れたな。

これまでミスのなかった我々運営の、初めての小さなミスだった。時間を計っていた直属の後輩は申し訳なさそうに俯いていた。

でも、私は知っていた。この失敗は、仕方ないのだ。

 

彼女には以前から、皆を否応なしに惹きつける、そんな力があった。それはその場の空気を掌握するような、大きな力だ。事実、後輩に第1鈴を忘れた理由を尋ねてみると、「何故か発表に聴き入ってしまったからだ」と答えた。さらに、彼女は国内外問わず、あらゆる会合で優秀発表賞を獲得している。

ある種の扇動ともいえるような特殊な才能を彼女は持っているのだ。

それゆえに私は彼女を見るたびに、類稀なカリスマ性でもってフランス軍を次々と勝利に導いた聖女、ジャンヌダルクを連想してしまう。

 

彼女の力とは何なのだろう。

無論、発表の内容は優れている。良く系統立てられていて、考察も深く知的そのものだ。

資料も当然見やすいものだ。無駄な情報はなく、順序よく丁寧に説明されている。

話しも上手である。聞き取りやすい声の大きさ、話す速さであることは間違いない。

でも、それだけではない何かがある。

彼女は容姿端麗である。いや、端麗よりも可憐のほうが相応しいだろうか。線が細く色白で、愛くるしい顔をしているのは確かだが──。

 

同年代の懇親会で、彼女に好意を寄せる後輩がこんなことを言っていた。

「可愛いですよね、可愛くて、いいですよね。でも、遠くで見守っているだけでいいです」

そのときは「しょうもないな、お前は」などと罵っていたが、彼の発言には一部、同意する。

彼女は確かに賢くて、しっかりとしていて、とても良い発表をする。

でも、完璧でない。何処かゆらゆらとしている。

危なっかしい、とまでは言えないが、あどけなさがあるというか、こなれていないところがあるというか、見守っていなければ、というような感情になる。

端麗でなく可憐、というのも恐らくそこからくるものだ。

もうこれ以上、上手く言い表すことができない。友人とよく「言葉とは何か」、「色気とは何か」などと問答をしているが、この答えでは彼も納得してくれないかもしれない。

 

空気を操る不思議な力。

彼女の発表を聴く皆が同じような考えをもっているかは不明であるので、その力がある種の「危なっかしさ」からきているとは断言できない。ただ、彼女に何か力があるのは事実といっていいだろう。

ジャンヌダルクはどんな人物だったのだろう?それを調べれば、彼女の力の謎に少しは迫れるだろうか。