* 京都旅行記(旅行記って言っちゃった)は一時中断
何事もあまり長続きしない私であるが,運動不足解消のため週1回5 km 程度のランニングを始めてしばらく経つ。
この習慣を利用して,お盆休みの帰省中に近所を少し巡ってみることにした。
当時部活や授業でよく走ったところといえば,小中学校のグラウンドや高校の周りの山であったが,グラウンドに無許可で入ることはできないし,高校までは少し遠かった。
そこで,まずは小学時代のマラソン大会のコースに向かうことにした。小学校のそばの川辺に設けられたランニングコースだ。
毎日歩いていた通学路を走る。
よくノートや筆記用具を購入していた文具店がなくなっていた。下校時によく見かけたお婆さんの家や,社会科見学でインタビューに行ったガソリンスタンドや,一緒に遊んだことはない同じクラスの友達の家も。
思い出を振り返ろうというのに,変わってしまったところばかりに目がいく。既知からの逸脱は何故どこか魅力的なのか。
かつて長く感じた通学路は本当に短くて,あっという間にマラソンコースへの分岐に辿り着いた。
昔から長距離は好きではなかったので,コースに向かうこの道もまた嫌いだった。
桜並木の屋根で薄暗くなった道を抜けると,すぐにマラソンコースだった。家からこんなに近かったのか。
コースにはところどころ錆びついたガードレールが川沿いにずっと連なっている。それは私の記憶の中のものよりもずっと低くて,ひょいと簡単に飛び越えてしまえる程度のものだった。
等間隔に立つ桜の木もまた思っていたよりもずっと背が低かった。ガードレールの向こう側,川べりの斜面の途中から生えているからだろう。
100 m ごとに置かれた距離表示も,コース沿いに並ぶ家々も,道も,川も,何もかもが小さくて,まるでミニチュアみたいだった。
小人の国に迷い込んでしまったようだった。
おそらくこの道は何も変わっていないのに。
第6位は○○君! 明るい声で担任の先生が私の名前を呼ぶ。
はいっ。人前に立つのが苦手だった私は,控えめに,精いっぱい大きな声で返事をして壇上に上がった。10位までがもらえる賞状を受け取る。
1年生の私だ。当時は身軽で,疲れを知らなくて,ゆえにそれなりにマラソンが速かった。
三角公園が見えてきた。公園の手前に鉄製の三角の門があるからそう呼ばれていた。ちょいとかがんで門をくぐり,中でよく遊んでいたものだが,今では三角の端をまたいでしまったほうが楽そうだった。
この公園を過ぎるともうすぐ向こう岸に渡るはずだ。
はい,56番。あなたが7番ね。担任は続々とゴールラインをまたぐ児童たちに無感情に順位カードを渡していた。
3年生になった私は,急激に順位を落とした。百数十人いる学年のちょうど真ん中ぐらいだったと記憶しているが,定かではない。もしかしたらもう少し遅かったかもしれない。
この頃に急激に太ったのだ。身体測定の結果は肥満だった。チビで,デブで,メガネだった。
橋を渡る。息は全然上がっていない。もうマラソンのゴールは近いはずだった。
白画用紙に青マジックで書かれた30の数字。その順位カードで小学生最後のマラソン大会が終わった。4年生のときにスポ少の野球を始めてから,体重は落ちて,背はそれなりに伸びた。3年生の頃と6年生の頃の体重がほぼ一緒だったことをよく覚えている。肥満から痩せ型に変わっていた。
ダイヤモンド一周は部員の中で一番速かった。陸上でリレーの選手にも選ばれた。
短距離が得意になっていた。長距離は嫌いだった。嫌いで苦手だと決めつけていた。
良いだろう,30位くらいで。
環状のランニングコースに設けられたゴールを越えて,もう少し走ることにした。
コースの二つ目の短辺,もう一つの橋が見えてきた。
それを渡ると正面に商店街の門が現れる。懐かしいような気はしなかった。新しく立て直されていたからだ。門はやたらとギラギラしていた。暗い夜道に突如現れるホテルかパチンコ屋のネオンのような,俗で下品な感じがした。
コースから逸れて門をくぐるか迷ったが,やめた。小人の国を抜けてしまいそうな気がしたからだ。向こう側はきっと現実,大人の国だろうと思った。
そのままコースを走り抜けて,小学校に向かった。
かつてはマラソンを終え疲れ切って歩いていたであろう道を軽快に走る。昔と変わらず狭い一方通行の道だ。
校門をくぐるのはやめて,グラウンドのほうにまわる。
小さかった。ダイヤモンド,児童館,鉄棒,滑り台,白球を追いかける少年たち。
児童館の隣の駄菓子屋はなくなっていた。車が一台もない駐車場。
すこし遠回りをして家に帰ろう。
大島君のアパート。みんなで集まってゲームボーイでポケモンをした。私は当時持っていなかったから,ただ友達がやるのを見ていた。低学年のうちに,大島君は転校した。
コミュニティセンター。雪の積もる冬にはここの体育館で筋トレや素振りをした。基礎練習はあまり好きではなかった。
友達が多く住んでいた社宅への抜け道を行く。
途中で道がなくなっているように見えてはっとしたが,進み続けて安心する。ここには元々道などないのだった。
いつもボロボロのフェンスをよじ登って通っていた。自転車があるときはそれを持ち上げてまでして通った。フェンスは今も変わらずボロボロだった。それをひょいと飛び越える。
よくジュースを買った店,秘密基地を作った駐車場,サトシ君の家,ラジオ体操をした線路沿いの広場。毎日のように鬼ごっこをした友人たちの社宅。祖母がいつも連れてきてくれた新幹線のみえる空き地。
もう家が近かったが,まだ走れそうだった。今度は中学時代の思い出を巡ろうかと思ったが,5 km 以上走っていたのでやめた。
明後日には中学時代の友人たちに会う。それで十分だろう。
ランニングのペースは普段より遅めだったが,本当はこれくらいがちょうどいいのかもしれない。
走るのも,考えるのも,答えを出すのも,思い出を振り返るのも。
汗だくで家に戻ると,92歳になっても元気な祖母と,仕事でいつも日焼けした父と,若い風で茶髪の母が迎えてくれた。狭い居間からは晩御飯のいい匂いがする。
彼らもこの家も,昔から全く変わっていない気がした。
今度は無限の国に迷い込んだのかもしれなかった。
でも,もう何日か,ここで迷子になるのも良いだろう。ギシギシと床を鳴らして風呂場に向かいながら,私は心からそう思った。