ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

悲しみのまち

 抜けるような空が眩しい。

 早朝の陽射しが光る石畳の道沿いには,落ち着いたベージュの壁に鮮やかな赤い屋根の家々が整然と立ち並んでいた。

 まちの中央に位置する広場には,モーニングコートやドレスを身に纏った老若男女が群れをなしていた。広場には空缶も紙屑も吸殻も,ごみ箱すらも見当たらない。

 中央には,一段と派手な衣装を着て,可笑しな化粧をした道化の姿があった。彼の繰り出す滑稽な芸の数々に,群衆たちは声高らかに笑っている。

 ここは美しく華やかな,喜びのまちだ。

「今だっ」

 道化が大玉から今にも転げ落ちようかというとき,青い空に鮮やかな弧を描き,複数の石が道化の顔や頭にぶつかった。同時に子供たちから吐き出された汚らしい言葉は,きらびやかなこのまちには不釣り合いとみえた。それでも周りは彼らを叱るでもなく,むしろ子供たちの悪意をも凌ぐ嘲笑でその罵声を掻き消した。地に倒れた道化の姿に目を凝らせば,彼の衣装は大概がすすけ,所々に穴や破れがあった。

 一日の始まりを告げる鐘の音が響くと,民たちは一斉に広場を後にする。子供と教師はそろって学校へと急ぐ。そして,大人たちの殆どは,端正な衣装を脱ぎ捨てると,打って変わって薄汚れた作業着に身を包む。地下深くを走る色味のない電車に乗り,となりまちの巨大な焼却場へと向かうのだ。

 不要なものを排除するようになると,まちは程なくして喜びに満ちた溢れた。日常は幸せだけに満ちていた。しかし,それは瞬く間に,毎日の食事も,頭上を流れる雲も,何もかもを単調にした。やがて誰からともなく,民たちはこのまちの欠陥に懸念を抱き始めた。

 道化はこのまちのすべてを背負った。まちの笑いを,刺激を,ユーモアを,たった一人で担い続けた。それらは喜びの中にはないものだった。彼が在るからこそ,このまちは美しく,澱みのない幸せに満ちていた。それでも人々は,そのありがたみなど感ずることはない。そして,今日もただ,一人の悲しみを糧にして,この喜びのまちに生きるのだ。