ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

誰が最後に笑ったか

 

突然ですが,ここで問題。

 

”今,あなたの前に3つの箱がある。1つの箱には「賞金100万円」,2つの箱には「たわし」が入っている。そして,あなたは最終的に選んだ箱の中身を貰うことができる。まず,あなたが1つの箱を選択する。私は残りの箱のうち「たわし」が入った箱を開けてみせる。つまり,この時点であなたが選んだ箱と,未開の箱のどちらかが「賞金100万円」,もう一方は「たわし」だ。ここであなたは,最初に選んだ箱を,未開の箱に変える権利が与えられる。あなたは箱を変更すべきか”

 

先日,偶然に出会ったこの問題。

 

実は「モンティ・ホール問題」という名称で有名な確率論の問題らしい(私は知らなかった)。

名前の由来はモンティ・ホールという人が司会を務めるアメリカのテレビ番組のゲームだそうだ。

ルールは先の出題と同様,「3つの扉のうち1つの扉の向こうには豪華賞品があり,2つには(何故か)ヤギがいて,選んだものを獲得できる」という内容だ。

 

あるとき,マリリン・ボス・サヴァントという女性の元に一通の手紙が届く。

彼女は,とある雑誌で「何でも相談」の記事を担当していた。

「どうしても賞品が欲しい!」という読者から寄せられたこの手紙に綴られていたのが,

 

「このゲームでは選択を変えるべきか,変えないべきか」

 

という質問だった。

 

実はこのマリリンさん,IQ228でギネスにも認定されている超天才。

彼女に寄せられた質問(理数問題,恋愛,人生相談など種類を問わない)に対する回答はどれも関心するものばかりらしい。

そちらを辿るだけで相当面白そうなのだが,本記事ではひとまずこの「モンティ・ホール問題」への回答を取り上げることにしよう。

 

彼女の回答は,

 

「選ぶ扉は変えた方がいいに決まっているわ。当たる確率が2倍になるのだがら」

 

だった。

 

そして,この答えが全米を巻き込む大論争に発展することになる。

 

コラムの読者からはマリリンに対する膨大な量の抗議や中傷が寄せられた。

 

「間違いを素直に認めるべきた」

「女性は数学の問題に対する考え方が男性と違うのだろう」

「ヤギはお前だ!」

 

云々…。

その中には数学の博士号をもつ専門家からの批判もあったという。

 

皆さんはどうお考えだろう。

扉は最終的に3つから2つに減らされるから,変える変えないに関わらず当たる確率は「2分の1」のように思われる。

とある大学の数学者もそう断言する程だ。

 

「そんなに疑うのなら,試してみるといいわ」

 

批判に対するマリリンのこの回答が,国立研究機関を動かした。

この問題についてのプログラムを組み,数値実験すること100万回,確かに「変える」方が確率は2倍になったのだという。

 

(何故だ…)

 

モンティ・ホール問題に関する動画をインターネットで偶然見つけて鑑賞していた私は,ここまでの説明を見て頭を抱えた。

動画を止めて紙とペンを持ち悩むこと数十秒,たったの数十秒で,ひらめいた。

 

(めんどくせぇ。続きを見れば解説があるだろう)

 

なんたる怠惰な男だ。

 

続きを再生すると,予想通り解説が始まった。

どこかの予備校か塾か,有名講師らしい人が現れて淡々と説明する。

 

「では,ここで実際にゲームをやってみましょうか。ただ,ルールを少し変えます。扉の数をじゃあ…100万個にしてみましょうか。その中の1つだけが,アタリです」

 

(え,100万個?増やしちゃうの?ややこしくない?)

私の心の声など露知らず,解説は続く。

 

「ここから,あなたは1つ扉を選びます。そして,わたしは選ばれた扉以外のハズレを99万9999個開けて見せます」

 

(ふむふむ…おぉ…!)

 

「どうです?変えた方がいいですよね?これが,扉3つの場合でも,起こっているのです」

 

ここで解説は終了していた。

 

確かに変えた方がいい。それは,初めに正解を選ぶ確率が小さいからだ。

初めに正解を選んでいる確率は「100万分の1」だ。

極めて大きな確率でハズレを選んでいるといっていい。

そこから,残りのハズレを全部消してくれて,「さあ,変えてもいいよ」と言われたら,今,選んでいないほうがまずアタリだろう。

計算式などで説明がなかったのが少し残念だったが,感覚にうったえる解り易い説明だった。

 

数値をこよなく愛する方たちの為に,ここまで情報を得た私が重い手を動かして考えたクソ解説を以下に示す。

 

「1.『絶対に選ぶ扉を変えない』と心に決めた場合」

と,

「2.『絶対に選ぶ扉を変える』と心に決めた場合」

で場合分けしてみよう。

 

以下の説明では,「」内は選択肢が3つの場合の確率,さらに()内は選択肢が100万個の場合の当たる確率である。

 

1.の場合

 賞品を獲得できる確率は最初の選択だけで決まるから,

 「3分の1(100万分の1)」

 だ。

 

2.の場合

 この場合は,初めの選択でハズレを選ぶことができればいい。最後にそれを捨てて,残りのアタリを選ぶからだ。

 したがって,獲得の確率は

 「3分の2(100万分の99万9999)」

 だ。

 

説明終わり。

 

おお…

マリリンのいう通り,選択を変えた方が当たる確率は確かに2倍だ。

100万個では99万9999倍にもなっている。だから感覚的に解り易かったのか。

 

最後に笑うのは,選択を変えた挑戦者である確率が高い。

 

さて,この問題を通して私が最も考えたことは,「確率論の面白さ」でも「マリリンの賢さ」でも「本当は自分が間違っていた数学者のいたたまれなさ」でも「扉の向こうのヤギの気持ち」でもない。

 

何かを考えるときは,まず初めに,最も簡単な場合を考えるべきだ。

 

袋の中に赤玉と白玉が100個ずつあったら,100万個あったら,N個あったら…。

それらにまつわる問いが複雑であればあるほど,私なら玉の数を減らして,具体的な数字でもって「簡単化」して考えてみるだろう。

私の中では「簡単化=数を減らす」で,それが「鉄則」だった。

 

もしかしたら,

(例外もあるのだろう)

と頭の何処かでは思っていたかもしれない。

でも,その「例外」にぶち当たったことを意識したことはこれまでなかったのだ。

 

そして出会った,モンティ・ホール問題。

 

正解がわかってしまった今では安心して,自信をもって扉を100万個に増やせるが,答えもわからぬままに,私にはそれは出来なかったろう。

 

天才だマリリン。

意識せずとも脳みその中で扉を増やし,式を立てずとも感覚で正しい答えを導き出すとは。

 

最後に笑うのは,やはり天才か。

 

ここで終われば「私の最も考えたこと=マリリンの賢さ」になってしまう。

 

違うのだ。

最後に笑うのは,私がいい。

 

「簡単化≠数を減らす」を思い知らされ,安い言葉だが私は感銘を受けた。

ものを考えることにおいて,私の中での未開の地を開拓できた。

「思考プロセスの多様性」を考えることができたのだ。

 

ここまで読んでくださった皆さまが,この問題に関わる事象に少しでもプラスの感情をもってくれているならば,最後に笑っているのは,皆さまということになろう。

と,言いたいところだが,それを望んで書いたこの文,皆さまが笑っているのなら,一番笑っているのは,やっぱり「私」だ。

 

ちなみにこの記事のタイトル「誰が最後に笑ったか」は,テレビアニメ「ルパン三世(第1シリーズ)」の第12話の題名をそのまま使わせていただいた。

内容は確か,ある村の宝を狙うルパン一味と対峙する盗賊団,そして最後には意外な人が宝を…というものだったはずだ。

もちろん,モンティ・ホール問題とは一切関係ない。

 

実は私,ルパンが大好きで,最近は第1-第2シリーズと少しずつ観返している。

これからもときどき,タイトルをお貸しいただこうかと思う。