ライ麦畑で叫ばせて

日常・数理・旅や触れた作品の留書・思考の道草 などについて書いています。

ひとこと感想集 part 3

 

 パート1(ひとこと感想集 )、パート2(ひとこと感想集 part 2 )と続けてきた「一言読書感想集」だが、パート1を書いていて気づいたのは「感想が『あとがき』に引っ張られる」ということである。あとがきについて共感あるいは批評的な感想をもち、それについて論述するならまだ良いが、書くことがあとがきの真似になってしまうのはいけない。

 そこでパート2からは、本文を読み終わったらまず感想を残し、それからあとがきを読むようにした。そこに(当然表現力にかなりの差はあれど)私と似たような考えが書かれていれば嬉しくなるし、反対に別視点からの感想やまとめ方があったり、私よりもはるかに多くの知識や経験に裏打ちされた主張がされていたりすると、考え方のお手本となりとてもためになる。

 授業やテストで「感想」に点数をつけられるのは嫌だったし、「感想」の模範解答ってなんだよ! と思っていた手前、「答え合わせ」という言葉はあまり使いたくないのだが、それに近いことをしているように思う。小説や評論の専門家が書く「あとがき」だ。自らの考えを正し深めてくれる良き師としたい。

 前置きが長くなってしまった。「感想集」を書くときは、この前段をどうするか悩むのもまた楽しい。ではパート3、はじまりはじまり。ちなみに「一言」が長くなってきてしまって、今回は二作品のみの感想だ。

 

* ネタバレにご注意ください!

 

8. カフカ 作・山下肇 訳『変身』(岩波文庫

 プラハ生まれのドイツ語作家フランツ・カフカの中編小説。知っている方も多いと思う。物語は主人公の男がある日起きると巨大な虫になっていた、という何とも大胆な場面で幕を開ける。

 人生の理不尽さ、やるせなさを感じること間違いなしの作品である。家族のためにそれなりに熱心にはたらいていた男が、ある日突然、もうはたらくことはおろか、好きに飲食することも、会話することすらできなくなる。それは自分が虫の格好だからであり、身体が思うように動かせないからであり、言語を発することができなくなったからである。そして何より、理屈抜きで家族に恐れられるからである。当然だ、外見が巨大な虫なのだから。

 彼の家族もまたやるせない。突如として虫になった男に対して、両親は息子として、妹は兄として接したいという思いがある。だが、どうしてもそれができない。化け物としか思えない。そんな気持ちが増大し、やがては「なぜ我々はこんな怪物に振り回されなければならないのか」と考えるに至ってしまう。なぜ「襲われるのでは」という恐怖と戦いながら、こんな虫を周囲の目を気にして自宅に閉じ込め隠し通そうとしなければならないのか。

 この作品において、主人公たる男には一切の救いがない。一瞬、救われたと思うところがあっても、それは全く勘違いであって、本当の意味の救いではない。すべては理不尽でやるせない。そして我々はそこから決して逃れることができない。

 この本を手に取ったきっかけは、私が三度の飯とルパン三世と同じくらい大好きなゲームシリーズの一作品「バイオハザードリベレーションズ2」だった。当ゲームの登場キャラクターが、やたらとカフカの文章を引用するのだ。そしたらもう気にせずにはいられない。

 ゲームの中で引用されたある文章が、この作品を端的に表現していたので、それを引用してこの感想を終えたい。

『我々の救いは死である。しかし、この死ではない』

 この引用があったのがゲームの第4章『変身』だったので、てっきりこの文は本作に出てくるものだとばかり思っていたが、これは『カフカ全集』の「八つ折り判ノート」の言葉らしい。機会があれば手にとってみたい。

 

9. 門井慶喜『おさがしの本は』(光文社文庫

 これほどに読む前の印象と、読んだ後の感想が異なる本もなかなか無いように思う。これは、ある図書館の「レファレンスカウンター」ではたらく男の日常を描いた物語だ。「失恋して、落ち込んでるんです」「そんなあなたにはこの一冊」「最近、心から笑っていないなあ」「はい、あなたにはこの一冊」などと、利用者の気分や要望に応える本を探し与え、悩める人たちを救う。そんな「ヒューマンドラマ」的小説なのでは、と読む前は思っていた。というのも、そんな本を以前読んだことがあったからだ。三崎亜記の短編だったか。

 だが、読み始めてすぐに気づく。これは、図書館を舞台にした「推理小説」だと。レポート課題に必要な本、幼少期の思い出の一冊、ずっと昔に借りたはずの本……。依頼者の限られた、至極曖昧な情報から、紆余曲折の末その本を探し当て、提供する。本に対する膨大な知識と愛情、そして(忘れかけていた)強い使命感を武器に、さながら探偵のように依頼者を真相へと導く。依頼があって推理があり、そして解決がある。まさに推理小説だ。

 やがて、主人公の男のみならず図書館全体が巻き込まれるある問題の発生を境に、この物語は推理小説の枠を軽々と超える。物語の中核をなす「依頼者」が、単なる「本探し」にとどまらない問題を投げかけてくる。その問題とは、市の財政難だ。経費削減、集約化、云々。図書館は勿論大切だ。しかし、それよりも救急センターや市営住宅の充実が優先されるべきではないか? 図書館など閉館すべきではないか? そんな考えをもつ一人の「依頼者」の登場から、この小説は突如として生々しさを帯びてくる。これは「ノンフィクション作品」に近いのではなかろうか。

 そんな大きな問題の解決に主人公は奔走することになる。たが、「お探しの本は?」という問いは、小説のテイストが切り替わっていく中でも決して消えることがない。この軸があることで、安心して、あるいは心弾ませて読むことができる。純文学から古文書のようなもの、科学書、児童書、絵本まで、さまざまな本の登場が、読者をずっと楽しませ続けてくれる。

 つい最近、うちの会社でも「これまでのような経費の維持は見込めない」というので、施設の閉庁や集約化というのが進められようとしている。先日その説明会があってなかなか炎上したのだが、説明にきた人たちとこの本の図書館閉館派の人物の最大の違いは「愛」ではないかと思っている。この物語に出てくる閉館派の人物は、実は根っから本が好きなのだ。だが止むを得ず、閉館を推し進めようという決断をしているように感じられる。愛があって本や図書館をよく知っているがために、閉館への主張は穴がなく強固であり、用意周到であり、ビジョンが明確なのだ。やるなら余計な苦しみを与えることなく一思いに、という感じか。そんな愛に裏打ちされた主導力をもつものは、ノンフィクションでは実はなかなかいないかもしれない。